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▼めえめえさん:
>▼ssさん:
>▼明子さん
>横から失礼します。
>ごめんなさい、最初の発言特に2.の方で、何を求めてらっしゃるのか
>わからなくてコメントを差し控えておりましたが、
>
>> しかし、自分は「出来て」いるんだろうか。見た目には自分と人の「出来る」は同じように見えても、その構造が全然違うのではないかという疑問もあります。
>
>『あなたがあなたであるために―自分らしく生きるための
> アスペルガー症候群ガイド』(吉田友子著、ローナ・ウイング監修)
>という本に、人の顔や状況を認知する際に、アスペのひとと、
>そうでないひとと、働く脳の部位が違う、という写真が載っていました。
>
>この説明は私にとってすごくわかりやすいものでした。
>私自身、ひとの顔色を読んだり、雰囲気に合わせることが一応できてる?
>と自認はしていますが、理解のしかた、周囲に合わせて行動するための努力
>のしかた、というのは、独特の回り道をしているので。
>(たとえばいったん”知識”や”基準”を言語化して、そこを通って
> あるいは参照して理解しないと納得できない、など)
>
めえめえさんご回答有難うございます。
この本は前にインターネットで買って持っています。脳の使う場所がマイノリティだという事は、あまり自分では意識した事も無いし、読んでいてピンと来るとこではありませんでした。自分は確定診断は受けていないけど、確定診断はより科学的に脳の事なんかを調べてASかどうかを検証してくれるらしいですね。
それを受ければ、はっきりしそうですが、多少高くてもすぐ受けられるなら受けたいですが、自分の県の発達障害支援センターは18歳未満の人のASの診断に限るらしく、また他県の専門の病院は年単位で診断待ちらしいという事で断念してます。
>ssさんは客観的なデータや、厳密な定義あるいは分類にこだわりを
>感じるタイプの方のようですが、
>人間の行動も特性も、かなり基準があいまいなものだと理解した方が
>けっこう当っているように思います。
>あいまいということは、よく言えば許容範囲が広いということなので、
>多少、変人でも受け容れてもらえる可能性も高いと思うと気が楽です。
もっといい加減になるべきだと思います。なぜいい加減になれないのかと考えると、自分が無いからだと思います。いい加減になれるのは、自分が何なのか見えていて、確かな物が何かわかっているから、それに影響の無い事に関してはどうでも良いという風になれるんだろうと思います。その確かなものがないと、どこまで譲っていいかわからないと思います。ASが自分を知る手がかりになるかも知れないので、慎重にそれについて自分と照らし合わせているという感じです。
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