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▼じゅんこさん、ご回答どうもありがとうございます。
じゅんこさん:
>いくつか質問させていただいていいですか?
>質問1)SSさんが精神科医にかかることになったいきさつは、ご自分の生活に生きにくさを感じてということですか?それとも、周囲(ご家族)とかにすすめられてということですか?
二ヶ月前まで仕事をしていて辛いので自分で病院に行きました。
じゅんこさん:
>質問2)「人の気持ちがわかる」というのは、例えば、目の前の人が不機嫌だとか、喜んでいるといかという意味での気持ということですか?
そのような意味で言っています。
人が怒っているのか ここは笑う場面なのか という事を感じることができます。でもそれをするのは義務感であって、例えばたくさんの人間がいる「輪」のようなところで、みんな笑っていますが、その内容がとても意味の無いような会話の内容で、そこでみんなで笑うという事をする事の為に、意味の無い内容で笑うような事をしていると思います。
例えば仕事をしている時、具体的な指示やコミュニケーション、何をしたくてどうして欲しいのか?そういう事が省略化されてスピードの速い展開で動いていき、そして、結果として何が問題があった時に、適当なはぐらかしやご機嫌をとるという事ができない私に、何かよくわからない、集団の問題が起きた事に対するストレスのはけ口(人はわかりやすい理由を求めます)のような役になってしまいます。
私が反論をしようと思い頭に浮かんでくる事は、当たり前の理路整然とした論理なのですが、世の中はそんな理路整然とでは回っていかない、かったるい事はただの言い訳にしか過ぎないという事になるのが常です。
また、そういう風に周りが感じるのも、私としては「解る」のです。ですから何も言えません。ただ、硬直的な私が、その世の中の回り方に特化した柔軟な人に殆ど道理の無い文脈で不当に扱われるという状況が、地獄だなと感じてました。
じゅんこさん:
> 私は自分の気持ちは相手にわかるように伝えない限り、伝わらないと思うので、同じように「人の気持ち」も理解しようという努力がなければ自分には目の前の「人の気持ちがわからない」というのが大前提だと考えています。
私がもし真摯に相手の言わんとしている事を理解しようと試みようとすると、顔には笑顔はなく、冷静に対話のような状態になり、その状況が相手は不快にというか、違和感を感じるようです。「そこまで深く考える事じゃない」といわれます。
じゅんこさん:
>アスペルガーかどうかの判断基準は専門のお医者様におまかせするとして、発達障碍だから、「人の気持ちを理解しない」「空気を読まずに自分勝手にふるまう」という行動がゆるされるわけではないと思います。
はい。自分もそう思います。自分はその場にそぐう振る舞いは短い期間なら出来ると思います。でも疲れてしまい結局は逃げる事になります。例えばこんな事がありました。
飲み会があって、その飲み会という状況では明るく全体の流れというものに乗るという事は、義務であり、そうしないという事は罪であるという状況ですが、自分はとても楽しいように振る舞い、(いや、自分も周りと一体化しているような感覚、みんなと仲間だという感覚は楽しいのですが、舞台の上で演じている俳優のように自分を俯瞰的に観ているように感じてしまいます)そして、周りの自分に対する検閲を無事クリアし、(見事だます事ができ、)その審査の目が甘くなる、周りも気を抜く、酔いが回ってきた後半の時間に辿り着きました。
がしかし、そこから二次会に行くという話になり、自分はうれしい事に周りに疑いも無く誘ってもっている状況になりましたが、自分は内心これ以上演じる事は無理だと疲れていました。そして断りました。何度もしつこく誘ってくれる人に対して、「俺が本当の俺を気を抜いて出してしまったら、全体の流れというものを壊す俺に対し、迷惑を感じ、直さない俺に対し最後には態度には出さずともうっとうしいと感じるのはあなたではないか」というジレンマとでもいうようなものと、一人格闘し苦しみました。
じゅんこさん:
>ただ、いままで、自分では人の気持ちがわかっているつもりなのに、周囲から人の気持ちをもっと考えろ」とか「空気がよめない」と指摘やある時は叱責をされたりして、
自分は周りから空気を読めというような指摘や叱責をされたことは無いと思います。適応していたと思いますが、自分の中で苦しんできました。問題のラインを自分の中まで後退させたのです。
じゅんこさん:
>がっかりしている方が、自分の発達障碍がはっきりして安心し、自分なりの生き方(人との関係の作り方)を工夫できるようになったということがあることを、この館に書き込んでおられる方々から学ばせていただいています。
自分も自分が苦しんでいる理由がわかるという事に快感を覚える為に精神科医に掛かり、アスペルガーと診断されました。でも本当にそうなのか?とまだ自分を許していません。自分のここがこういう理由でアスペルガー症候群的であると理路整然とわからないと、どこまでがそうで、どこからが自分の怠慢であるかがわからないからです。ただの怠慢であるのに、内心(自分はアスペルガーだから)なんて本気で思い込んでいる自分の人生を想像すると悲劇だなと感じます。
じゅんこさん:
> 題名の「自分の怠けを発達障碍に責任転嫁する」自分を許せないということなのでしょうか。あまりご自分を責めないようにしてください。
>心が疲れている時は怠けではなく、ゆっくり心をやすめる必要があると思います。
心を休めるとは具体的にどういうことなのでしょうか?自分はダラダラすればいくらでもダラダラします。ある程度まできたら、よし、やる気がでてきだぞなんて思いません。危機感から、しっかりしなくちゃと焦りだしてしょうがなく動く事はありますが、それは時期が来たからと言うものではなくただ動き出すのが遅かったという事になると思います。
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