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▼たもっちさんへ
KAZEと申します。
たもっちさんは素敵な事を経験されているなあと、読ませていただきました。
私は、過去に、アスペの息子の付き添いのために、養護学級をいう環境をつぶさに見てきました。
息子の付き添いといいながら、実情は、支援の手の足りない現場で、自分の子以外のお子さんの世話をする事も多くありました。
そこ現場にいる、大人として、支援員の一人でなければならない事を強いられ、その一方で、その現場にいることを、良しとしない人たちから、強く攻撃も受けました。
ただ、そこでも半年間というものは、私の存在価値を揺るがすほどの経験だったと思います。
私も最初は、この子たちを見ている、支援しているという上から目線だった事は、否定できません。
でも、本当は、そここそに、私という、当事者が存在する意味を与えられたといっても過言ではありません。
それは、言語表出の難しい人たち、子たちに変わって、伝えることができるのではないか?ということです。
必ずしも、私が感じていることが正しいとはいいませんが、定型発達の方たちが感じ得ない事(音過敏、光過敏など・・・)を、『通訳』できるという事は、本来の支援の初段階ではないかということが分かっただけでも、価値ある時間だったと思っています。
たもっちさんの記事とは、少しずれてしまいましたが、思った事を書いてみました。
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