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▼まくいるそちとるさん:
こんばんは。
>>私にもありましたね。
>>「親は私にどうなってほしいの??」って。
>>でもこれ、暗に『私が言ってほしいことを私の理想通りに言うまで許さない』っ
>>ていう脅迫になる可能性のある言葉なんじゃないかって、思ったことがあって。
>>でも厳密に言うと、親が私を産んだ年に私に描いていた理想像どおりになってい
>>なかったら、自己責任の名で自己処分する覚悟で言わなきゃならないんじゃない
>>かって。
>>親は……よほど主体性の無い人でない限り、そんな、社会性も身につけて、相対的な視点も身につけて、人の気持ちや立場も想像する知的能力が育って、判断力が身についてしまうまで大きくなった子に、今更、理想通りにならなかった責任を取ってしんでくれなんて、正常な精神だったら望むわけないんですよ。
>>三歳児検診から始まって、数々の予防接種も受けさせた、学校の授業料も、給食費も、修学旅行費も、制服代も、部活のユニフォーム代も、遠征代も、おこづかいも、食費も、たんまり掛かった。太ったら服を買い換えた。泥汚れは面倒だけど漂白した。女の子が二次性徴したら生理用品も買った。
>>たんまり、がっぽり、手間もそうですが、お金も掛かっているんです。
>>やっと就職した。
>>……そこで、一般の子はひとまず終わるんですよ。
>>親のこだわりが強ければ一息ついてから旅行しようか、結婚まだか孫まだか、が始まるんですが、大抵は落ちつきながらグズグズ口にするくらいなんですよ。
>>でも、それから、またトラブったか!またか!またなのか!またなのか!の失敗をやってるのが、発達障害なんです。
>>それでも我が子への愛着はある親御さんが、普通は大半なんでしょう。
>>不幸にも、愛着があまり残っていない場合もあるかもしれません。
>>でも、お金もかかった、手も掛かった、もう疲れた!というのは、どの方にも共通した思いなのではないかと想像します。
>>ここまで手を掛けて大きくしたのに、資格が無いとかしぬとかもう面倒はやめてくれ!が、平均的に強い気持なんじゃないかという気がします。
>>人生どうしたいか、親に決めさせないなら自分で決めてくれ、というところなんでしょうか。
>>迷う、じゃなくて、決めて責任持ってほしいんじゃないかと思うんです。
>>自立までは、責任を持ってあげてきたのは親なんだから、もう解放して、みたいな。
>>だったら、「親孝行したい」と「解放して」は、すれ違っているんじゃないかと思いました。
>>だったらそこで、宙に浮いてしまう未解決な気持ってなんなのか。
>>親不幸な気がする気持ってなんなのか。
>>自分(私)が満たされていないんじゃないの?という仮説を私は持ちました。
未熟な文を謝ります。
ここまで、全部、主語はレモン蒸しパンの経験談なんです。
すごーく遠回りする、くどい思考の歴史の一端。
まくいるそちとるさんが、今、なにかとっても高揚した気分で、まるで躁気味(躁とは言えませんよ。私はただのネット人なので。)になって、したいこと、したいことが増えて目移りしている状態ではないかと心配したんです。
>3歳児並み>の脳みそなので抽象的な話がわからなくなります。
自分で止められない高揚をしている人って、実力では理解できる話や説明も、省いてほしがったりすることがあるんですよ…。
でもまくいるそちとるさんは、決して知的に低くない。
気分は三歳児返りしても、脳みそはそこまでおとしめなくていいと思うのです。
でも抽象的な話が分かりづらいのは、解ります。
>夢の中で、レモン蒸しパンさんと同じことを告げられました。でも、
>矢張りまだ意味が分かりません。家族の調整役・・・それは何かわかる。
第六感でしょうかね……?メッセージですかね…?その夢の作成者はたいしたものだと思います。
>その結果、愛想、喋り、世話、噂、確認行為???私はそこまでは酷く>無いと自分では感じるのですが。ただ単に人と喋ること、聴くことは好き>です。人の話って訊いていて楽しいですから。新しい世界が見えてきて。
まくいるそちとるさんは、生活の設定をちゃんとしてしまえば、タガを外すことは無い人なんですね。
自制心が、まくいるそちとるさんなりのルールで、きっとどこかで機能するんですね。
>私は関係性の奴隷ですか?実感がわかなくて分かりにくいです。
私は発達障害を知る前も、知ってからも、リアルの外界とネットで、何人もの共依存気味の人たちとお会いしてしまいました。
そういう人たちの中でも、人間として共感できない程、中毒のように人に構い続け、時には私に失礼をしてもその事実を流される程、視野狭窄になった人たちを指して言った感想です。昔の思いです。
まくいるそちとるさんは、そんな堕落はしない人だと思います。
>自分の過失と他人の過失の区別がつかなくなるパニックって、どういう
>ものなんだろう?
OPさんについ謝った件ですよ。
>関係性の問題で幾つか混乱する?
>関係と言うのは解るけど関係性っていう意味が分かりません。
関係の性質といったらいいのかしら……?
関係の中で起こっていることや、関係を構成している物をうまく把握し切れなくて、理解していれば防げるはずの失敗をしてしまう、と言ったらどうでしょう?
でも、私も失敗していますから、偉そうなこと、書けません。
>ごめんなさい、私の頭が弱いからか、ASだからか、レモン蒸しパンさんの
>コメントがなかなか意味が難しくてわかりません。
>子供返りはモスクでやっています。子供たちが多いので子供に混じって、
>遊びます。ああ、大人がやってるとか、ひげが生えてるとか言われながら
>子供になって、その親御さんからおこぼれの愛情を頂いています。
いえいえ、私も書き過ぎましたね。
……ひげが生えてる……!?
体毛が伸びやすい薬とか服用しているんですか?
>子供時代に楽しめなかったこと、モスクで思い切りやります。勿論誰も
>批判しないし、子供も私が面白いらしく、私の方がかまってもらって
>幸せな想いをします。でも子供がケンカしたら優しくたしなめて一応大人
>の技術で関係の調整を図ります。それじゃだめかしら?
いやー、自分を出せる場所、癒される場所があるのは素敵なことです。
ただ、共依存体質の人によくある話で、一時の気持の盛り上がりでお金が絡むトラブルに巻き込まれたとか、パニックになるくらいひどく傷つけられたとか、八つ当たりされたとか、狙われたなどした時に、一人で抱え込んでもっと悲惨なことになることがあります。
プライベートを把握してくれて、ASに分かる言葉で「苦しまなくていいように解決しようね。」と、方向を示してくれる相談相手がいると、とても違います。
傷ついてから、相談相手を探しても、ASが始めての場所に行ったって、どうせ自己紹介を一生懸命しなくてはならなくて、癒されるところまでとてもとても手が回らない。持ち時間も終わってしまう。
私はそれで嫌な思いをしました。
だから、“壊れた自分を修理に出せる場所”は、トラブルの無い平和な時期から確保しておくのがいいんじゃないかと思っているんです。
そしたら、対人関係で何かあっても、その場で手を出さずに、相談場所に泣きつく。「手を出したらだめだよね。我慢して偉かったね。」とケアしてもらえる。
お金のかかる物を契約させられたとしても、相談場所に泣きつく。「クーリングオフ制度を使おうね。相談窓口に一緒に電話してあげるね。隠さないで話してくれて偉かったね。」とケアしてもらえる。
まくいるそちとるさんは、社交的になろうとしているように見えるので、万一のことが起こった時に、頼る場所があったらいいとか、ちょっと広げ過ぎて考えてしまいました。
分からない場所は、無理せず読み飛ばしてくださいね。
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