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▼クロムさん:
こんばんは。 AS周辺の困難さを抱える子どもがいます。
やはり、診療して頂く医師によって診断名は変わって来ましたし、中にはカルテ上の診断名を「何にしておきましょうか」と、こちらの意見を聞いて下さる方も有ります。(投薬上の必要から診断名をつけるときも有りますから。)
>診断の根拠にはできないが、言語性と動作性の差も大きいし、ばらつきの内容はアスペルガーと矛盾しないといわれました。
今後、生活や通学や就労、そして周囲の方々ともスムーズに生活が出来るようになったなら、その時には、「アスペルガーという診断は、今は不要だ」と、ご自身でお考えになれば良いと思います。
困っている間は、「発達上のアンバランスに起因して困難さを抱えている」状態で、その状態に対して、医師は便宜上「アスペルガー」と名付けていると解釈すれば良いと思います。
>わたしは生活や通学や就労の問題は解決していないけれど、この結果を示されて能力があるのに、適応にむけて努力が足りていないという意味と受け取りました。
ここは全く逆の意味だと思います。
動作性と言語性の差は、多く(たしか95%位)の方が20より小さいと記憶しています。 だから、残りの少数派であることは、明確になっているのですよね。
両者の差がこれだけ有れば、発達障害の範疇として、何らかの「生きにくさ」を抱えていると受け止めて、周囲の配慮が必要な数値です。
社会は多数派の方が暮らしやすいように出来ているのですから、普通と違う特性を抱えていたら、努力をしても適応しにくくてあたりまえだと思うのです。
決して努力が足りないとご自身を責める必要は有りません。
>障害手帳も持っているけれど、返さなければならない。
障害者手帳は、社会生活や就労時に配慮が必要とされるかどうか?という病状というか生活の状態で決まってくるものです。
手帳に該当するかどうか?はご自身で判断することではなく、周囲からの客観的な判断ですから、診断名が厳密な意味では違っていても、返さなければならないものでは有りません。(ただし、取得は義務では無いので、邪魔になるなら返すのは自由です。)
>AS自体が診断基準があいまいなものだから、どうしてもこだわってしまいます。
>典型的なエピソードもないような気がする。
ええと、「どうしてもこだわってしまう」というのは、典型的な症状の一つだと思いますよ。
>根拠がはっきりしないと受け入れられなくて、
そういうことにひっかかる受け止め方も、普通の生活ではコミュニケーション上の問題を起こしやすいと思います。
普通の生活では根拠が無いままに、なんとなく流れる会話も多いのです。
例えば
「どちらにお出かけですか?」
と、聞かれて
「ちょっと、そこまで」
なんていう、曖昧な返答を自然にできますか?
(スキルとして、出来るかどうかではなく、自然にそうなるか?ということです)
>こう言う思考を見ると、じゃ、努力したら?と思いますか?
いいえ。
丁寧な援助が必要な状態と思います。
>診断に取り憑かれています。
という状態こそが、自閉の「こだわり」と矛盾しない状態と感じます。
逆説的な言い方になってしまいますが、
「診断名なんて便宜上のものなんだから、上手に使い分けられればいいや」
という曖昧さを、すんなり受け入れられる心境になられたら、その時は診断名が不要になったときだと言えるのかもしれません。
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