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▼penpenさん:
こんばんは、お返事ありがとうございます。
>>(しつこく)ハンバーガーをねだるとか同じジョークを何度も聞きたがるというような行動は自閉症特有のこだわりとしては分類されないのが一般的でしょう。
>
>Ryuさんとわたしでは自閉症の理解に違いがあるようです。
うーん、僭越ながら言いますと、少なくともあの映画の中で端役であるビリーの断片的な描写だけを見て、彼のことを発達障害か何かだと指摘する専門家はまず居ないと思いますよ。
>平凡なやり取りの中にいくつかの異常な関わりが混じったストーリーを組み立て、自閉症の人と正常な学生がどういう反応の違いを見せるかを考察しています。
>例えばおなかが空いていたので、飛行機の機内食だけでは足りず、
>機内食を残した子どもの機内食をくれるようにその親に頼む行為をどう思うか等、
>非常に興味深いです)
これも、この内容だけを見ると知らない人は誤解してしまう可能性があると思うので補足させていただきます。
認知・行動科学におけるこのような実験はこれに限らず色々行われています。しかし、そもそも人間の論理というデジタルな秩序体系の上でのみ作られた”異常な交わり”とか”特殊な環境”という実験上の設定は、アナログ思考をする自閉症の特性をつかむためには公平で適切とは言えないんです。何故なら論理のみによって作り上げられる特殊な環境は、人間の”言葉”で設定できる範囲のみをパラメータとして採用しています。しかし人間は無意識というアナログ思考の部分を持っているので、その無意識に記憶されている想定外の事象も含んだ非言語的パラメータの条件設定が出来ないのです。
ですから本来このような実験は臨床の現場で偶然に起こった現象を蓄積して、それらを総括的に集計するべきなのですが、そのことをよく理解しない一部の研究者はそのような可能性を考慮しないで拙速に条件設定をし現象をミスリードしがちになります。
有名なサリーとアン課題における考察についても、客観視と主観視の区別が出来ていないというだけの現象を、心の理論を推測できないなどとミスリードしてしまうことがあるわけです。挙げていただいた例では話を聞いて判断するだけと実際に体験して判断するのとの違いが考慮されていないですよね。見ている(または聞かされている)行為をどう思うか、などは主客関係の置換が必要になる設定なので、アナログ思考の自閉症の人の言動を把握するのには適していない不公平な設定です。アナログ思考の人は主観的に捉えたこと以外の判断を誤る傾向があるのは確かです。つまり体験的に取り入れた情報でなければそれに伴う羞恥心などの想定が難しくなるのです。
上記のようなことが分かっている専門家がこのような実験結果を参考に特性を判断するのならばいいのですが、単に実験結果を字義通りに受け取ってしまう一般の方が、このような結果だけを言葉で知って実際の現象把握に用いようとするので発達障害の自己診断には誤解がつきまとうのです。
自閉症の人が会話の内容を字義通りに受け取ってしまう傾向があるなどと揶揄されることが多々ありますが、これは一般の定型の人でも字義通りに受け取ってしまうという良い例です。つまり、自分が理解していない事象を言語情報だけに頼って理解しようとすると、自閉症だろうが定型だろうが誰でも字義通りに受け取ってしまうのです。自閉症の人が字義通りに受け取ってしまう場合は、前回の返信[#21728]で挙げたような相手の顔を見ずに非言語情報をキャンセルしてしまうといったことから起こりえます。しかし相手の気持ちが理解できているかどうかということは、自閉症の人も普通の人を理解しにくいですが逆に普通の人も自閉症の人ことを理解できていない場合が多いということでお互い様なのです。
今回の主題は'It is not a disease, it is a way of life'ということで自閉症に対するネガティブな印象を払拭するポジティブキャンペーンが目的でしたので、(既にご存じのpenpenさんには)しつこいようですがあえて説明させていただきました。日本ではまだまだネガティブな認識が主流ですからこれ以上ネガティブキャンペーンをする理由が無いですし、ポジティブに捉えたほうがみんなにとっていいと思うんです。
人を軽蔑しようとする人は人の悪いところばかりを見つける
人を敬おうとする人は人の良いところばかりを見つける
だったらみんな良いところを見るようにして、人を敬って生きた方が幸せだと思うからです。なんてね。
Ryu
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