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▼penpenさん:
こんばんは、返信ありがとうございます。
お話を続けた方がいいのかどうか分かりませんが、一応僕が投稿したトピックなので最後は僕が締めて終わろうと思っています。もし終わりで構わないのでしたら返信をいただかなくても構いませんし、ご意見がおありでしたら続けてくださっても結構です。
>>むしろこれといってこだわりや得意なこともないのに友達と世間話をして怠惰な時間を過ごし、連むことによって自分を守っているという社会性を持ち合わせているので、彼は限りなく定型に近いと思います。
>
>たしかビリーだったと思うのですが、
>得意なことはなさそうですが、こだわりはあると思います。
>しつこくハンバーガーをねだるところとか、同じジョークを何度も聞きたがるところとか…。
実際にアスペのお子さんをお持ちのようなのでpenpenさんは当然ご存じかとは思いますが、見ている方が誤解されるといけないので補足させていただきます。
アスペや自閉症特有のこだわりというのは字義通りの「こだわり」では必ずしもありません。ハンバーガーをねだるとか同じジョークを何度も聞きたがるというような行動は自閉症特有のこだわりとしては分類されないのが一般的でしょう。お金が無くて腹が減ったら誰でも食べ物をねだることはありますし、忘れてしまったまたは理解できなかったジョークは聞き返すこともあるでしょう。
自閉症特有のこだわりというのは一般的にこのようなものを言うのではなく、例えば乗り物や植物などにこだわって名前を覚えるだとか、特定の誰かを真似たような話し方にこだわったりだとか、地面のタイルの模様に沿って歩くことにこだわるといった類のことです。
また手洗いや歯ブラシにこだわったりするような症状は、プロセス嗜癖だとか強迫性障害などの二次障害として分類されます。これらの二次障害は精神療法などにより改善可能ですので、自閉症特有の本来のこだわりとは違います。お間違えの無いように。
>ビリーを社会性を持ち合わせている定型に近い人間ととるか、アスペ性の高い自分に近い人間ととるかは
>発達障害に対する理解の違いとは思いますが、
>彼をどう捉えるかによって
>セルフエスティームに大きな違いが出そうです。
ここも重要なポイントなのですが、健全なアスペの人にとってはセルフエスティーム、いわゆる自尊心というものは世間一般の人が感じるようなものと少し意味合いが違ってきます。定型の人の多くは職業などにそれぞれ絶対的な価値を置き、大学教授はすばらしい仕事、掃除夫は底辺の仕事などと分類し尊敬や軽蔑の対象としますが、ことアスペの人間にとってはそれらの価値観が絶対的なものであることは少なく、相対的であるのが普通です。
これは映画の中でもウィルが口にしていますが、数学者として世間のために働くことも掃除夫や工事現場でブロックを壊して働くことも価値は同じだと言っています。アスペの相対的な価値観だと、数学者も必要かもしれないが工事現場で働く人も世の中には絶対必要で、両方とも必要なものなのだからそれらに優劣は無いということです。教授の斡旋で大企業に就職が決まりかけたウィルも、結局最後には別の道を選ぶために旅立ってしまいましたよね。
これはあくまで健全なアスペの話で、例えば「東大へ入学して大企業へ入らなければ生き残れない」などと言われて幼い頃から育ち脅迫的になってしまっているアスペには当てはまりません。そのような脅迫症状で周りが見えなくなって偏執してしまっている例もよく見受けられますが、たいがい燃え尽きて鬱などの精神疾患を患いつらい思いをすることになるでしょう。もしくは自己愛性人格などと診断されるかもしれません。実は僕も以前は鬱でしたけどね。
この相対的な価値観はやはりアナログ思考から来るもので、頭の中でチェスの駒の動かし方を考えているときと同じように掃除夫が居て大学教授も居ないと世の中が成り立たないということを考えてしまうからなのです。逆にデジタル思考の人達は大学教授や掃除夫という観念を言葉として扱う際に、それぞれに価値づけをして記憶しているためにどうしても価値判断が介在してしまうのです。ちなみに今の僕はほとんど相対的な価値観で考えることが出来るようになっているので、ビリーが掃除夫だろうが大学教授だろうがセルフエスティームに違いはありません。
>>いまだに水銀化合物ワクチン原因説を信じている人が多いのには驚きました。それを言ったら水俣病患者の人達はみんなアスペになってしまいますよね。
>
>わたしは自分が体験していないことは否定しないことにしています。
>もしかしたらそれが当てはまる人がいるのかもしれないと考えます。
僕も完全に否定しているわけではないのですが、あまりの根拠のなさに驚いたと書きました。アメリカではおそらく日本でいう水俣病ほど有名な水銀公害が無かったためか信じる人も多いようですが、水銀化合物ワクチン説を主な自閉症の原因として受け入れてしまえば、水俣病患者=<自閉症と言っているのも同然になってしまうからです。それに僕は一応研究をしている者ですので、色々な説のどれが有力かということにプライオリティーを置かないと研究が出来ません。もちろん水銀化合物の被害者で且つ自閉症という方もいらっしゃると思うので、当てはまる人はいると思っています。
>うーん、視線を合わせないというのは
>子どもの自閉性を見分ける最も初期の特徴のひとつなので
>何かの学習の結果というより、生まれつきの何かの欠落から
>生じる特徴だとわたしは感じています。
人間の赤ちゃんは胎児の頃から学習が始まっています。視覚的な学習については目が見えるようになった瞬間から始まっているでしょう。その段階で、自分という主体にとって好ましいと思われる情報と好ましくないと思われる情報の分類は行われ始めているのです。そしてセラピーによって克服できる症状ならば、生まれつきの何らかの欠落という説は成り立たなくなるのです。
まあこれは僕自身が以前は他人と視線を合わせながら話すことが出来なくて、最近になってそれが出来るようになったので、その体験からあくまでも事実を述べているだけです。そしてそれがアナログ優位脳理論と合致する経過であるために例としてあげています。
>アナログとデジタルという言葉ですが、定型の人は論理的思考をつみかさね、
>アスペルガーの人々は直感やひらめきに従う傾向があるように感じています。
アナログとデジタルという言葉、やはり一般の人には本質的な意味が理解しにくいようですね。説明不足で申し訳ありません。アナログとデジタルの定義を僕の論文から抜粋して引用します。
>> 人間は自然界の動物のなかで唯一言葉を利用してコミュニケーションを行なう動物として知られる。しかし言葉という情報は自然界に存在する事物をそのまま捉えているわけではなく、人間の解釈によって生み出された一種の符号であると考えられるので、言葉はデジタル信号と言うことが出来る。実際に英語のアルファベットは26進数の符号と言えるし、日本語で使われる漢字やひらがな、カタカナもコンピュータで扱われる際にはJISコードなどの数桁の符号に置き換えられている。どちらも有限の符号によって置き換えられる情報であり、digitalの語源であるラテン語のdigitalis(指)で数えるという意味に当てはまる。一方例えば視覚で扱う映像は、外界に存在する物体に反射した光をそのまま視神経を通して取り入れた情報であり、それを脳内の化学物質や神経細胞の活動電位として再現し知覚・認識しているわけである。言い換えれば外界に存在する物体を電気信号や化学物質にそのまま置き換えて情報として扱っているわけで、analogの語源であるanalogy(類比、類推)という意味に当てはまる。
そして仰るようにアナログ思考とは即ち直感やひらめきを生み出す無意識の作用を意味します。普通の人から見て直感やひらめきが非論理的で信憑性に欠けると思われるのは、それは普通の人がアナログ思考が比較的苦手で無意識を見渡すことが難しいからです。
これは僕のブログの「意識の海」という項目に書いていますが、人間の意識を海面上に例えるとしたら無意識は海中に例えられます。
http://submariner-spirit.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_b10e.html
普通の人にとっては海中を見渡すことが難しいので海面に顔を出している情報だけで状況を判断するのは不確実だと思うのでしょうが、健全な自閉症の人にとっては海面下を見渡すことが出来るので確実性の高い状況判断が出来るのです。そしてアナログ情報というのは人間の意思が介在する以前の情報をそのまま記憶しているので、より完璧な自然に近い情報になります。
>直感やひらめきは視覚的な思考をする人にありがちな傾向で
>それはそれで便利なところもありますが、
>自分の思考を天啓のように完璧なものと受け取ってしまい、
>自分の論理の破綻に気づきにくい傾向が出るようです。
理論の破綻については、自分の見ている無意識の情報に自分の意思が介在し解釈が加わったときに起こりえます。しかしその解釈の妥当性を上げる訓練をしていけば確実性の高い解釈が出来るようになるのです。ユング派の分析心理学では夢の分析などを行って精神療法に役立てていますが、これも夢という無意識の光景に的確な解釈を与えることによって治療効果を上げているのです。僕もそのような訓練を受けたのでこのように無意識を言語化して論理的に表現できるようになったのです。けっして最初から出来たわけではありません。
>自分の能力を空想的でなく信じる気持ちは大事ですね。
長くなってしまいましたが、上記に上げたことはどれもこれもやはり自分の潜在能力、つまり無意識の作用を信じようとしないと始まらないのです。また映画の話になりますが、スターウォーズでもあるように自分の力を信じることが大切ということですね。
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