|
▼六華さん:
ご意見ありがとうございます。
「躾」というのは、人として最低限出来ていなければならないと考えられること一般なのだと捉えています。
よって、それすら完璧に出来ていないというのは人間たる資格が無いということと同義になると思います。
ですから、人格否定にも感じてしまいます。
親の躾がなっていない、といわれる場合、自分の行いの所為で親までも責められていると思い、悲しくなります。
こう書いても伝わりづらいかもしれませんけれども…。
>ひなたさん、はじめまして
>六華(りっか)と申します。
>
>>他人から「躾がなっていない」、「非常識」などと言われるととても傷ついてしまいます。
>
>一般論としてお話ししますね。
>躾というのは、立ち居振る舞いや身だしなみなどのことですよね?
>礼儀作法、マナー、広義の意味では他者への配慮ともいえます。
>
>>しかし、人によって価値観や要求水準が違うため、完璧に躾がなっている態度を取るのは難しいと思うのですが…。
>
>「躾とは何か」を考えてしまうから、「完璧に」「人によって価値観や要求水準が違う」と悩んでしまうのではないでしょうか。
>でも、躾がなぜ大事かといえば、自分の立ち居振る舞いで周囲の人に不快感を与えることなく、気持ちよく過ごせるようにするためです。
>つまりは、方法が大切なのではなくて、目的が大切なんです。
>食べ方が汚かったり、歩く時に大きな音を立てたり、身だしなみが不潔だったりetc、そういうことで不快感を与えるのは、集団のなかでは一種の迷惑行為みたいなもの。
>注意されたら、「すみません。気をつけます」と謝罪することが大切だと思います。
>
>また、「人によって価値観や要求水準が違う」とのことですが、何も言われないからといって、相手が気にしていないわけではなく、ただ黙っていた、我慢していたということも少なくないです。
>なぜなら、人は成長すればするほど、本人の自主性に任せて些細なことは注意しなくなるからです。
>特に躾というのは、注意しにくい事柄です。
>
>だから、注意してくれる人がいたら、他の人も同じように気にしていたのかもしれないと省みる機会にされた方がいいと思います。
>
>>今日もあるサイトを読んでいて「躾がなっていない」と言われると人格否定に感じる、という意見があったのですが(わたしも同意見)、その程度で人格否定に感じるのはおかしいと一蹴されていました。
>
>人格否定に感じてしまうのは、どういうお気持ちからでしょうか。
>もしかしたら、言葉をダイレクトに受け取るAS者の特性が影響しているのかもしれないですね。
>
>私自身は躾に限らず、他人に何か注意されても、人格が否定されたとは感じない人間なので…すみません。
>
>>どうしたら良いのでしょうか?
>>本当に困っています。
>
>できるだけ、同じことを注意されないように改めること。
>その繰り返しです。
>
>ただ、あまり注意ばかりされても、落ち込みますよね。
>特に躾というのは、常識的な範疇のことを指していて、集団のなかで自然と学んでいくことが苦手なAS者にとっては、指摘されると辛い部分です。
>
>「自分は至らない人間なんだ」とマイナスに考えるよりも、「躾を身につけることで、お互いに気持ちよく過ごせるんだ」とプラスに考えた方がいいと思いますよ。
|
|