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▼明子さん:
▼penpenさん:
コメントありがとうございます。
>しかし、現実世界のことに関して言えば、共感の言葉は相手に対する
>好意表明です。
私も、リアル世界では一応「大変ですね」「頑張ってますね」と言われたときは、「ありがとうございます」「おかげさまで」と、うなずいてはおりますが、
内心は上記の様に、思ってたりしています。
さすがに、その場で「共感はいらないわ」と、つっぱねたりはしませんけどね。
ただ、リアル世界でも、相手が同情や共感を求めてると思えるときは、あえて言わないかもしれませんね。
だまってうなづいては、いると思いますけど。
また、ビギナー時代の話しに戻りますけど、当時息子がアスペとわかって、あちこちにアスペの理解を求めるようになると、
ちょっと乱暴な子でも、ほほえましくみられるようになりましたし、
当時は、成人当事者の方も、息子の姿とだぶらせてしまって、「そのぐらいはいいじゃない?」と思ったりもしましたけど、
でも、成人と、子供とは違うでしょう?
うちの息子は、手を握りたいこだわりがありますけど(自ブログにも書きました)、今は、まだ「かわいー」と言われるぎりぎりの年齢ですので、
「うちの子は、不安だと、手を握りたくなるんですよ。しばし、ご理解ください」
と、言えます。
でも、後、2〜3年もしたら、それが「犯罪」や「変態」と言われる年齢になってしまう。
そんな年齢になってから「障害だから理解してください」って、厳しいでしょう?
「うちの息子も自閉症。だから同じ自閉症の行動を、理解して許してあげなくちゃ」
となると、どこまで本当の理解と支援になるのか?
難しいものがありません?
「大変ですねー」「頑張ってますものねー」の相手を肯定する言葉も、共感の言葉も、
行きすぎると、相手に間違った支援をしてしまわないか?
と、思うのですけど、
でも、明子さんのレスにあったように、
私がそこまで相手のことを心配する必要はないのかもしれませんね。
私があえて厳しいことを言わないかわりに、相手が「自分は許されてる」「自分はこのままでいい」と助長してしまっても。
それは、その人が後々困るだけで、私にはなんの関係もないことですよね。
そういう割り切りも必要ってことですね。
自分がやらなきゃ、と、気負いすぎる面がありすぎるのかもしれません。
少し気楽に構えます。
ありがとうございました。
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