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▼ジンさん:
>いやだ。やっぱり恋人を作って、結婚して、子供をつくって、皆と同じハードルにたちたい。そして、そこそこの企業について、昇進し、子供がいい大学に通い、成長していく姿を見て、夫婦で老いる。それ以外には僕の幸せはない。僕は今まで他人のためにではなく、自分のために努力し、いじめにも耐えてきた。健常者と同じように苦しみを乗り越え、努力をした。俺は認めません。自分の愛した人との恋愛も許されず、自分が今まで望んだ「普通」にも到達できないんて
はじめまして。私は最近ASと診断された25歳♂です。
私もジンさんと同じように「普通」に到達することを夢見て、いじめも乗り越え、努力してきました。
そして、同じように「普通」にすら到達することが困難と思われる現状(私の場合、自分のハンデだけではなく、親の借金や父の不治の病気など)に生きることに希望を見出せなくなっていました。
私も診断を受けてからしばらくは「生きる意味がない」と思っていました。
生きる意味がないなら、死ぬしかないじゃないかって。
だけど思ったんです。
人はいつか死にます。生き物はみんないつかは死にます。
そういう風にプログラムされています。
「死」を前提にした「生」なわけです。
心臓が鼓動を止めるその時まで生きることが、生命としての最も基本にあるコンセプトだと思うんです。
だからそれを途中で止めてしまうのは、生命のコンセプトから外れていると感じるのです。
私はコンセプチュアルなものに惹かれる性質なので、「コンセプトに外れるような行為」は私の美学に反します。
だから、死ぬのは辞めました。
生きる以上はこの現状を受け入れ、改善していくしかないので、その方法を模索中です。だけど毎日半歩でも改善できるようにと心がけています。
私は、「生きている意味なんてない」と今でも思っています。
ただ、「生きてみる価値はある」とも思っています。
死のうと思えばいつだって死ねます。むしろ明日にだって事故で命を落とすかもしれません。だったら最後まであがいてみるのもいいんじゃないでしょうか。少しでも「普通」に近づくように。
そういう模索中の身なので偉そうなことは言えないのですが、
私はあがいてみようと思います。
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