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▼蜜豆猫さんありがとうございます。
現代は競争社会と呼ばれる様に、相対的な優劣を気に病み、わずかな格付けの上下の競争に反応する様な社会になってます。かつては競争はスポーツ競技など限定的な場面だけのものでしたが、今は勉強からプライベートな場面に至るまで競争原理がゆき渡ってます。
人間に優劣を競わせるためには、まず「みんな等質だ」と仮定する所から始まります。「みんな違って」たら優劣つけようがありませんからね。だから競争原理を徹底させる為に、個々の違いを無かった事にして、みんなに一様に同じ課題を与え、同じ教育課程を課し、同じ生活習慣、同じ制服を強制するのです。みんな同じなら容赦なく優劣の判定可能になりますからね。だから「競争原理の導入」と「個性の違いを無視する事」は実質同義なんです。
>ただASらしい感覚、考え方になかなか馴染めないで疎外感やもやもやを感じてるだけなんです。
競争原理の中へ投げ込まれたら、自分の中の他人と異なる部分が自分ですら受け入れられなくなるのは当然でしょうね。競争原理社会はそもそも個性の違いを認められませんから。
>うーん…これはAS独特の考え方なのかウォルフルさん独特のそれなのか分からないですが、上にあげたような身体的な傾向と脳や思考の傾向は必ずしも...理屈だけで片付けられるほど、簡単なものではない...
その通りです異論ありません。だから私も簡単に比較出来るほど単純じゃないという意味もこめて【俺のは優れてる」私のは劣ってる」と誰も言わないのは当然ですよね】と書いたのですが..私こそ分かり憎くてごめんなさい。
>これも、私は違う…というか「違う場合もある」と思います。もちろん全員ではありませんし、自分がどうなのかは分かりませんが。アスぺだって...連続体の一部なんです。それなら切り離して「かけはなれている」と必ずしも言える事ではないんじゃない?
もちろん私も了解してます。ただ物事を二元論によって対照化する事で、それらの特徴をくっきりと浮かび上がらせたかっただけで、(単なるレトリック的な手法です)それ以外に意図はないです。
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