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kazeさん レスありがとうございます。
今までなんとなくもやもやした思いがあったところがクローズアップされました。
以前公園で、木を折って遊んでいる子たちがいて、
私的には木を折ることはいけないことなんだけど、親御さんはすぐそばにおられて
何も言わないので、そのままにしたことがあります。
もし息子が同じことをやり始めたら、私は間違いなくやめさせるけど、
(木は折ってはいけない、葉っぱなら、少しはとってもいいよと教えたことがあります)
草花は良いのになぜ木はいけないの?
どうして葉っぱだったらいいの?
どうしてみんなやってたのに僕にはダメだって言うの?
なーんて聞くかもしれない、そのとき私はなんて答えたらいいのかなあ?
と、ちょっと考えたのを思い出しました。
動物も、虫も生きている。
木や草だって生きている。
でも害虫は殺されちゃうし、雑草は抜かれてしまう。
同じ生命ではないのか?
結局人間に必要であるとか、害があるとか、人間が価値があると判断したかどうかで分けられるということで、そんなことを子供に説明するのも意味が無いというか、言ってはいけない気がします。
> そのお子さんは、どうかはわかりませんが、花を摘んだら可哀相・・・
> では、毎日食卓に上がる『野菜』は可哀相ではないのか?
> 花は悪くて、野菜は良い なんて言うのは、人間の傲慢です。
> 本当に大切なのは、生きているものは大切だよ。
> でも、手折られてしまうものに、今自分にとって楽しい時間をくれて、ありがとうと言う感謝の気持ちの方が大切だと、私は思います。
>
> 感謝の気持ちが大切だからこそ、『おこぼれに預かる』程度の謙虚さが必要なのだと思います。
この心、忘れてはいけないですね。
花を摘むときも、ものを食べるときも、そして、少し拡大して、洋服を着るときも、おもちゃや道具を使うときも。
謙虚さと感謝の念を持っていなければならないのだなと思いました。
このことは、息子にも話せていけるといいなと思います。
結局、どこまで良くてどこまで悪いか、それは個人個人が持つ価値基準であり、
人がどうこう教えるものではないのかもしれませんね。
上記の私の結局人間が勝手に考えてるだけね、という思いも決して人から教えられたものではなかった。
いろんな経験をするうちに子ども自身が導き出すものなのかもしれないと思いました。
私はつい、○○だから△△だ、みたいに、理由付けして教えようとする傾向があるのだと思いますが、子供にはそれはしなくてもいいかもとも思いました。
どうして?ってきかれたら、
『うーんどうしてかなあ?お母さんもわからないけどなんとなくそう思うんだあ』みたいな答えもありかな、と。
「あなたはどうおもう?」というのもいいのかもしれない。
そんなことの中から、いろんな考えがあるんだな、って、こたえはひとつではないんだなって、息子が感じてくれるといいなと思いました。
kazeさんのおっしゃる内容とはずれたことを考えたかもしれませんが・・・。
とってもいろんなことを考えることができました。
ありがとうございました。
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