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▼赤いらいおんさんへ。
こんにちは。初めましてたもっちです。現在北陸地方の某都市に在住していて、鍼灸マッサージ師として治療院に勤務しております。現在35歳の男子です。
>今訪問看護ステーションでケアマネをしています。
大学は、2つ出ました。1つめは美大で写真専攻。でも人にシャッターを向けられず、さびた扉とか塀のひびとか(笑)撮って、それでも卒業できました。2つ目は、通信の油絵科。レポートの方が楽しかった。就職は、私が死にそうなのをいつもサポートしてくださった方が、「あなたには魂に触れる仕事をしてほしい」と言われたことが心に残り、福祉の道にいきなり無資格で飛び込みました。山あり谷ありで、おかしくなったこともありましたが、2つめの職場が良いところで、そこで介護福祉士とケアマネを取る事ができました。今、3つ目の職場、訪問看護ステーション併設のケアマネ部門で仕事を始めて半年です。でも。この仕事には、日課がなく、月に40件近い家を訪問して利用者とコミュニケーションを取らなければなりません。始めてすぐに、訪問4件目になると、蕁麻疹が全身に出るようになり、夜間も痒くて眠れないことが多くなり、1ヵ月後に皮膚科で薬をもらい、押さえました。でも、理由はストレスなので、結局精神科で以前うつ状態だった頃処方して効果があった、トフラニールを処方してもらい、蕁麻疹は改善されました。しかし、その3ヵ月後、先週、自分の作った利用者のスケジュールを、勝手にヘルパーセンターで変更したりしているのを知り、切れてしまいました。自分なりの言い分はあるのですが(ご利用者の希望を伺って作ったプランを勝手に変更しないでほしい。事前にこちらに断るべきである、等)、それより、スケジュールの急な変更に私が適応できないことが問題なのです。これまでずっとそのように調整してやってきた職場ですから(それが仕事のやり方としてよいかは別ですが)。
私の場合は、高校卒業した後は本当は就職をせずに、大学進学をして自分自身が立ち遅れていた社会性スキルを取り戻したり改善改良したかったのですが、家庭の都合や両親の干渉に遭ってしまい、国家公務員という社会人生活を送りざるを得なくなりました。そのため、非常に冷たく厳しい現実社会の嵐を受ける事になり、職場は勿論の事、家族や他の一般庶民から馬鹿にされたり、時に反発をもしたりして、社会に対して多大な迷惑を掛けてしまいました。このままではいけないと思い、公務員での職を捨て、鍼灸マッサージ師として再出発をするに至りました。
当初は、人間関係や学習等で非常に苦労をしましたが、資格取得直後はその反動で「安堵感」に浸りました。しかしそれもつかの間、姉の離婚や父の死去、母の度重なる入院と内臓疾患や歩行障害等による体調不良(実家に帰宅後、私が鍼灸マッサージで施術してほぼ復旧したのだが・・。)父の葬式時に姉から「あんた実家に帰ってこなくて良い。私は息子と二人で過ごすから。その事で一杯なの。」と言われ、私からしてみれば「病弱の母親をたった一人にさせてしまって、孤独死してしまったらどうしてくれるんや。本当は東京に居たいんだが、これじゃ、実家へ帰りざるを得ないよ。」と思い、長年の間その事で悶々としており、それが仕事や遊び、恋愛にまで悪影響を及ぼしてしまいました。
>たまに、私がいて「助かる」と言ってもらえたのを真に受けて、きちんとしなくてはと思ってそれこそきちんと出来る限りしました。それが逆に疎まれてしまいました。他にも、「仕事に追われて、大変。でも所長に言われているからやらなくちゃ」みたいな発言をした人に、私は、それは大変だ、仕事を減らしてあげなくちゃ!と、直接担当者に折衝に行ったら、「よけいな口出しはしないで。これでも精一杯やっているのよ」と、思っても見なかった反応が当人から帰ってきました。訴えの趣旨は、これだけがんばっている自分を見てほしい、ということらしいです(普通の人ならすぐわかる、たいしたことではない)。それがわからない私はなんてばかなんだろー。とどめに、「これまでの(イージーな)やり方の方がよかった」と言われてしまいました。
私も仕事上で、それと似たような事に遭遇した事があります。事実、私が鍼灸業務をした所、私の患者さんが非常に喜んでいたのにも関わらず、院長から私の業務に介入し、患者さんを怒らせてしまいました。しかし、患者さんは私に対して不平不満を何一つ訴えませんでしたが、院長に対して不平不満を言いました。
最後に、私も赤いらいおんさんも医療関係の業務に携わっていますが、これからもお互いに頑張って行こうと思っています。
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