|
▼夢人さん:
初めまして。(^o^)/
Chiquitita(チキチータ)です。
ふだんはケータイからでないとアクセスできないため、乗り遅れてしまい、すみません。
> a 友達と相互に関わる能力に欠ける(けんかっ早い、人気持ちが分からない)
> b(省略)
> c(省略)
> d(省略)
私も経験があることですが、発達障害を抱えていると、他人の言動を字義通りにしか解釈できない場合が多いです。もしくは、ストレートな自己主張しかできないために、他人の心を我知らず傷つけてしまうケースも多いです。
>2 没入的で狭い興味・関心(次のうち少なくとも一つ)
> a ほかの活動を受けつけない(小説家になることだけを生きる目標に知る)
> b (省略)
> c (省略)
私は長年コンピュータの仕事をしていますが、やはりどうしても今までのスタイルを変えることは難しいですね。
ただ私は好奇心が旺盛なので、新しいことにはすぐに興味を示すことが多いです。
>3 決まりや興味・関心の押しつけ(次のうち少なくとも一つ)
> a 自分に対して、生活上で(完璧主義に固執してる)
> b 他人に対して(それを他人に強いる)
あくまで私が感じていることなので、夢人さんに当てはまるかどうかは解りませんが、周りの人が夢人さんの思い描いたシナリオのとおりに動いてくれないとつらいのでしょうか?
>4 言葉と言語表現の問題(次のうち少なくとも三つ)
> a 発達の遅れ(仲間の社員のも言ってる仕事の話が殆どちんぷんかんぷん)
> b 表面的には誤りない表出言語(初恋の女性の名前が口癖の叫びになってる)
> c 形式的、もったいぶった言語表現(破損しちゃったとか漢語が多い)
夢人さんは、カタカナ語についても指摘はございませんか?
> d 韻律の奇妙さ、独特な声の調子(話し方が変)
夢人さんは、日常会話で発音がおかしいと指摘されたり、どもり(吃音障害)を突っ込まれたりしたことはございませんか?
私の場合は「ラリルレロ」の発音が悪いことを長年指摘されています。
それでも、カラオケボックスに長年通っているうちに吃りは気にならなくなりました。
> e 理解の悪さ表面的暗示的意味の間違った解釈を含む(裏の意味がわからん)
一例として、「耳障り」を「耳触り」と勘違いして、「この音楽は耳ざわりが良い」と言ってしまう、そんな感じでしょうか?
でもこれは発達障害の有無に関係なくありうることだと思います。
>5 非言語コミュニケーションの問題(次のうち少なくとも一つ)
> a 身ぶりの使用が少ない(喋りに全てを託す)
> b ボディランゲージのぎこちなさ無神経さ(身体言語は恥ずかしい)
> c 表情が乏しい(笑顔でコミュニーションする習慣のなさ)
> d 表現が適切でない(自分が「偽物」でないかと疑念している。)
> e 視線が奇妙、よそよそしい(人の目を見て話すと言ってることを忘れる)
これはLD(学習障害)との見極めが難しい問題ですが、自己主張の言葉選びに全神経を集中しなければならないために身体の動きまで連動できないからだと思います。
>6 運動の不器用さ
> 神経発達の検査成績が低い(体育は毎年1だった)
私は身体障害も抱えていますが、この問題は非常に深刻に受け止めています。
その理由は、運動の不器用さが身体障害や外傷の整形外科でのリハビリにも支障を来たす原因になっているからです。
ですので、私は整形外科の診察を受ける際には、必ず担当ドクターに発達障害に対する知識があるかどうかを確認しています。そうでもしないと、寝言みたいなアドバイスしかもらえないからです。
> 以上の根拠からで、僕がアスペルガーって、診断できるではと。僕の主治医(鬱病の処方箋屋さん)も妻もカウンセラーの先生も、アスペルガーなんてレッテル付けちゃ駄目だっていうけど、それはアスペルガーの症状への対処法を知らないから彼らは認めないだけじゃないかと思っています。僕はアスペルガー人格障害者として、この病気を治癒したいのです。
私は現在、近場の心療内科で2週間に一度カウンセリングを受けており、今日はそのカウンセリングの予約日です。
現在の私の対応は、カウンセラーにはASはもちろん、ADHDやLDのことも話していますが、2次障害についてのみ治療を受けるという方策でお願いしております。
よく、「アスペルガーは治るものですか?」というコメントを見かけますが、これについては残念ながら「No」と答えざるを得ません。
しかし、これで悲観的になるには及ばないと思います。発達障害を抱えていても、創意工夫で乗り切ることは十分可能だと考えられ、実際社会で当たり前に活動している当事者(グレーゾーンも含めて)は多いです。
確かに、鬱病は発達障害の2次障害として罹患するケースが多いといわれています。しかし鬱病は完治させることが可能です。それは幾多の闘病記が物語っていることです。
それに、あくまで私見ですが、医療機関でも、ASよりは鬱病から対応したほうが成果が得られやすいと感じていると思います。ベルリンの壁の取り壊しだって、最初からコンクリートの大きな塊(AS)を相手にするよりは、長年風雨にさらされてできたひび(2次障害)から切り崩すほうが簡単だったでしょう。
それと、最近になって私自身が気づいたことですが、そもそもの問題は発達障害を「障害」という視点で捉えることだと思います。
実は、発達障害者の脳は、実は認知症患者と違ってスペック上の欠陥はありません。メモリの配分を誤ったために期待通りの性能を発揮できなくなったコンピュータを想像していただけると解ると思いますが、例えばMacOSのパソコンでは、MacOSをアンインストールしてもWindowsは通常動作しません。逆もまた同じです。けれどもMacOSでWindows用のソフトを動かすことは可能です。
その一方で、MacOSでWindows環境を作る(エミュレーション)プログラムが、安定性が十分保証されていないので、WordやExcelなどの動作が不安定になる(2次障害を発する)といった問題があります。
鬱病は発達障害の有無に関係なく発生する病気ですが、発達障害がある場合とない場合では対処法は違うと思います。その意味では、ASの確定診断はあるに越したことはないでしょう。
私はDSM−IVなどの診断基準に照らし合わせてもらった結果、心療内科では「グレーゾーン」という結果をいただきましたが、主観的な判断でDSM−IVと照らし合わせるのと、医療機関で医師やカウンセラーが客観的判断でDSM−IVと照らし合わせるのでは明らかに結果に差が出てきます。
案外主観的な判断で自己診断を行った場合のほうが結果が悪く出ることもありますので、お医者様やカウンセラーの方とも相談されてから今後の対応を考えられて大丈夫かと存じます。
|
|