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六華さん、こんばんは
すっきりとしたコメントで、大変分かりやすかったです。
>「発達の障害」なのだから、定型者よりも精神年齢が低くてあたり前じゃないでしょうか?
>周囲と比べるより、前の自分と比べて前進していればいいと思いますよ?
そうですね。当たり前なのでしょうけど・・・とても不安が募ってしまっていたのです。つまり、「おかしい」「恥ずかしい」をよく連発されていましたので。
>>とある病院の看護婦に「大人になる気が無いから」などと言われてしまいました
>看護婦さんは、豆さんの何かが気になったから、そう言ったのでしょうね。
そうですね。それが何だか分からないのですが…
>豆さんは精神年齢のことで悩んでいらっしゃる。
>それでは具体的に、ご自分の弱点は分かっていらっしゃいますか。
>どう生きたいという思いはありますか。
ある程度までは、分かっているつもりでも、ちょっと穴が開いてるかな?といった予感はしますね。どう生きたいといったものが未だ漠然としていて形になってくれないです。
>
>発達障害者は自分を客観視することが苦手なゆえに、自分がどういう人間か分かっていなかったりします。
そう分かりませんね。だからいろんなものに化けてしまう。
>「当事者である」ことは分かっていても、「何がゆえに当事者なのか」は分からない。
>つまりは、障害特性が自分にどう作用して、どんな弊害が生まれているかということです。
>それを知ることから成長が始まると思います。
>スタート地点が決まらないと、ゴールも見えてきませんから。
模索中です。日常の中で少しずつ、「これかな?」といったものは出てきているのですが、むしろ自分より先に勘のいい人のほうが感づくといった感じです。
>
>でも、自分を理解するって難しい。
>それができないからこそ、発達障害なのだし…。
それはいえてますね。
>
>だから私は、周囲に教えを請うことにしています。
>言動がおかしいと言われたら、聞きやすい相手に何がおかしいのかを問うて説明してもらうわけです。
>何かアドバイスされたら、できるだけ従います。
最近は、「変わってる」「個性的」などという言葉に代わりつつあり、何だかいやみをちくり言われているような気分で、早く大人になりたいなどと思うようになりました。アドバイスを聞きたいとは思うものの、(つまり自分の行動やらはドンくさいようで)タイミングを逃すというか、タイムラグがあるというか、どこがおかしいのか聞かなければと思い立った時に聞くこと自体、「変わってる行動」に思えて仕方が無いのです。
>
>最近、お悩みになっていましたよね?
>書き込みを拝見していると、混沌とした様子が伝わってきます。
そうですか。六華さんも、見ていらしたんですね。
>今も「精神年齢が幼い」という焦りで、ぐるぐるしていらっしゃるようですが、豆さん自身が自分の心を見つめて、ひとつひとつ何を変えていきたいのかを整理された方がいいと思います。
そうですね。自分に問いかけるのが一番の近道かもしれませんね。
一つ、分かってるのは、そういった自分を受け入れられないみたいで・・・^^;
何だか暗い返信になってしまったこと、すみません。
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