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コメントありがとうございます。
▼ウォルフルさん[#17561]:
初めまして。(^o^)/
>西洋では社会を分離しもうこれ以上分離し切れない最小単位として個人の存在を目下社会秩序の中に看破しますが、これが日本文化がいう処の社会(世間体)では、社会をどこまでも分離していっても「個人」が見当たらないのです。逆に、どんなに「個人」存在を集積してみても日本では社会秩序(世間体)の性質が説明出来ない。
なるほど、そう考えると、日本だけセクハラや障害者に対するパワハラが極端に多い理由が納得できます。
歴史を紐解いて解るのは、途上国を除けば封建制度が20世紀まで続いたのは日本だけです。
イギリスなどは王政を敷いていますが、日本の天皇陛下と同じく国家の象徴というシステムです。
だから、第二次世界大戦で日本が負け、社会が急速にアメリカナイズされた結果、権力の中心がぼやけたのでしょう。
>僕は障害のグレーゾーンに当たる者なのですが、質問回答はChiquititaさんと同じくです。先に上述した部分と同じ様に、世間体を気にしている親とは交渉や話し合いが成り立ちません。なぜなら世間体を気にしている人間というものは中央的決定権(自分自身で主体的に判断力する事)を放棄して仕舞っていて、世間体に沿うか沿わないかの、言わば世間体の調停者でしかないからです。
おそらくその通りでしょう。
私の両親が祖父母とケンカ別れして、生まれ故郷を離れたのも、上記の理由があるからだと察せられます。
▼ぴよまるさん[#17565]:
ご無沙汰してます。(^o^)/
>世間体が気にする/しない の二元論的に語るものでしょうか。>
>世間体といわれる行動は誰にもあって、その人が外界から守るべき(と思い込んでいる)ものの大きさに比例します。それが共感されにくい場合、他者から「世間体」と呼ばれるのだと思います。
>
>それが他者から共感されれば、その他者は「常識的」「守るべきものを守る義務を果たす」とその人を評価する。それだけのことです。
なるほど。
私の両親は、私の身障を世間に迷惑を掛けるだけのものだとしか考えていませんでした。
それは、両親とも漁村という閉鎖的なコミュニティで育ったために偏見に曝されて植え付けられた妄想でしょう。
だから、両親ともに、私の個人的人間関係にことごとく下心を疑ったのだと思います。
しかもそれは、私が小学校〜中学校で受けたいじめ(茨城や長野でもうなされる程ひどかった)により確立されてしまったのでしょう。
>それから、結婚には二人の気持ちと別の、さまざまな要素がからんできます。
>(中略)
>翻って恋愛は、親子の分離の過程にしばしば現れるものであり、親の意思に反して行われるところに醍醐味があることもあります。
>Chiquititaさんが「恋愛に反対される」と苦になさるなら、これを機会に精神的な親離れにも挑まれるのも宜しいかと思います。
もちろん、親の意見を一々気にしていては何もできません。
PTSDですら、親にとっては「病は気から」ですので、親離れを機会に治療を本格化しましたが、お蔭様で今のところ順調です。
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