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▼kokaさん:
kokaさん宛というより、このスレを読まれていらっしゃる方へ…というか。
私は、スレタイの「分類と区別」に関しましては話題を避けました。
それについて、話の主題より、それ以外の面でのお話しをしました。
私自身、未診断であること。子供は診断名がおりていることなどから、ちょっと本題にはどうお答えしていいかわからなかったせいもあります。
ですが、最初に私が、スレタイからちょっと横の部分でのお返事をしてしまったせいもかるかと思いますが、それ以後、kokaさんのおっしゃりたい趣旨からズレてしまった、責任を感じております。
自閉は、こうした枝葉に目がいきまして、本題を置いてきてしまいますからね。
>私が不思議に思っていることなんですが、どうして、発達障害・・・特にアスペルガーという診断名を貰う必要性があるのでしょうか?
>病院という場所は困った人が行くべきところであり、普段の生活に困っていなければその診断名は必要としないのではないでしょうか?
>勿論、診断名も貰うことで安心する人もいらっしゃるでしょうし、抱えていた困難を解決できる手口の一つではあります
この内容から、kokaさんは、
「診断名を貰うことで、その方が自分の方向性がわかる分には、それは別にいい」と、おっしゃられてるように受け取れます。
決して「診断名を貰うな」とも、ASと診断された人を否定しているわけでもないと思います。
>でも、診断名を貰うことで安心していませんか?
>「できない」といってしまえば「できない」のです
>でも方法を考えれば、できるようになることが沢山あります
>どうしても困難であるというべき所は人それぞれですが・・・
ここで、私は「努力の方向性がわからなければ、それこそそのためのここの掲示板です。出来ないことを障害のせいだからしょーがないのね、と共感しあうためだけにあるのではなく、自分を改善していくための意見交換の場であって欲しい。」
と、 [#17144]で、申し上げました。
もちろん、感覚過敏等、努力だけではどうしょうもない部分もある、ということは、kokaさんも前提におかれております。
>診断名を貰うことで諦め、逃げてしまう人も多々いると思います
>それは人としてどんなものなのでしょうか?
診断名を貰って、「自分はアスペだから出来なくて当然」「頑張っても出来ないんだ。」になっていませんか?
もしくは、「自分はこんなに大変なんだ。障害持ってるから当然なんだ。そんな気持ちに周囲の方がわかれ!」と、思ってる方はおられませんか?
>簡単に診断名を貰えることで「私は無理なんだ」といってしまっていいものでしょうか?
努力の方向性ですよね。
LDの方だって、「自分は字が読めないんだからしょーがない」ではなく、
たとえば、トム・クルーズ氏は、台本を全て読んで貰って覚えたりしてますよね。決して「字が読めないんだから、字を読む仕事は出来ない。自分に無理」としていませんよね。
障害があって、それでいて、それがあっても出来る方向性を自分で探して、今の名優の彼がいます。
さて、私が最初にレスをつけたことで、なにやら話の方向を変えてしまった気もするので、責任を持って、本題に戻したいと思います。
ここで、わかりやすく、子供を例にとります。
今、「軽度発達障害」ということで、
私のような子供を持つ親御さんの方には、お子さんがどんどん「自閉症診断」されているのを感じておられるんじゃないかしら?と、思うのですが、
その中では、「自閉症」と診断されたために、子供の育て方の方向性がわかって、親子共に頑張ることができるようになった という方でしたら、診断名は必要だったのでしょう。
ですが、あまりにも最近、この「発達障害」の診断基準がひろがったために、ひと昔前までは、「こんな子もいたよね」程度の子供まで「自閉症」「発達障害」と診断され、診断されたのはいいですが、親が「うちの子は、障害児だ。可哀想!」になってしまったり、「子供がこんな変なのは、障害のせい」になってしまって、それまで健常児と思ってきちんと躾けしていた親御さんまで、子供の育て方がわからなくなって、鬱になってしまったり、
子供といっしょになって、悩みから抜けられなくなったりしている親御さんも、多いですよ。
うちだって、子供が小学校でトラブルが目立たなければ、そのまま育てていたでしょうし、幼児期に見られた子供のこだわりや、多少ケンカがあるのも「子供なんて、みんなこんなもんでしょ」で育ててきました。
ところが、これが診断名がおりてしまうと、「こだわりがあって、これを治したい」とか、「ケンカするの。どうしたらいいの?」とか、
普通に子育てして解決出来ることまで、「どうしたらいいの?」と、悩まれてしまてる。
こうした親子の場合は、「診断名はもしかすると不要だったかも」という感じがしませんか?
kokaさんの、このスレにおける、主題はここではないでしょうか?
そして、現在、私はこの掲示板でも何度かお話しさせていただいておりますが、
息子の担任の先生は、息子を「アスペルガー」とも「障害児」とも「特別」だとも見ておりません。
「子供はみんなこんなもん。騒がしいものです。そしてちゃんと成長します」
「子供はひとりひとり違う。それに対して、Aちゃんは泣き虫だから、叱り方を変える。Bちゃんにはガッチリ叱る。こんな子供によって対応を変えるエコヒイキは僕はしますよ」
と、おっしゃっております。
こんな先生ばかりだと、うちの息子に診断名はいらなかったと思います。
そしてこれは「周囲全てがそうなって欲しい。周囲がそう支援するようになって欲しい」、だけではなく、
「当事者である、自分自身もそう思って行こう」ではないでしょうか?
そしてそれは「人はひとりひとり違うのだから、自分は違って当然。だから周囲は自分に対してそう思ってくれ。支援してくれ。理解してくれ」というのは、自分視点になってしまうので(苦笑)
そうではなく、
「人はひとりひとり違うのだから、自分は自分の利点を生かし、自分の欠点を補って生きていこう。その欠点があるから、自分がダメなのではなく、その欠点も全て自分なのだと思って、それも抱えて自分の利点にしていこう」
>私は発達さん、定型さんとして人間を見ていません
>人間そのものとして見ています
これは、上記の意味になりますね?
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