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Kazeさん、返信ありがとうございます。▼kazeさん:
> つまり、保育士になる方が学習する段階でも、そんなに詳しくはやらない・・・または、すでに資格を持っていらっしゃる保育士の方は、これから自分で学習していかなければならない現状だという事ではないでしょうか?
そうだと思います。一応、理論を学びますが、実際にその障碍を持つ方と真正面から向かい合うことがあってはじめて意味をもってくるということだと思います。>
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> 結局は実際にその子と対面して、学んでいくという事ですよね。
そのとおりだと思います。この障碍にはこんな対応・・なんて言う人は信じてはいけません。一人ひとり本当に違いますから。特に療育の現場で、自分の経験をひけらかして「このタイプの子どもには・・」とその子をちょっとみただけで全てを知っているかのように話す方に出会うと「がるる〜っ」と噛みつきたく(笑)なります。Kazeさんのお子さんと同じ心境でしょうか・・・?
> でも、親からすると、自分の子が障害があるかもしれない・・・と言うところで充分傷付いていたりする訳です。
> そこに、他からの圧力が掛かると結構きついかもしれません。
そうですね。私の長男は胎盤早期剥離で9ヵ月の時に仮死状態で生まれたのですが、医者から「呼吸が停止していたわけですから、95%、なんらかの障碍をもっていると思ってください。」と言われました。その時、障碍を持つこどもの親になることが自分のこととして重くのしかかってきました。2ヵ月半をすぎても笑いはじめなかったり、首のすわりや寝返りが遅かったりと小さなことを上の娘たちと比較して、落ち込んだものでした。
「いいんだ。この命を育てなさいって神様から預けられたんだから、誰かと比べるのはやめよう・・ゆっくりでも、この子なりに成長しているじゃないか!」
と冷静に受け止められるようになるまで6ヵ月かかりました。8ヵ月でも寝返りしなかった時はさすがに運動機能面での障碍を確信しました。
結果的には、ただ、太りすぎで動けなかっただけで、なにも障碍はなかったのですが、あの時の重い気持ちやあせりは今でも鮮明に思い出されます。
「親は十分に傷ついている」んですよね。
口にださないだけで、認めたくないだけで、心の奥では「これからどうやって育てていこう?」と大きな不安の中にいることを大前提にしなければいけないことを再認識させていただきました。
> そうやって考えてみると、実は相手にいかに伝えるかと言うスキルは必要なものの、実際に本当に求められているのは、『思いやり』なのではないかと思います。
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> 息子の年長時代の先生に大いに助けられた言葉は、『私は勉強してるけど、何も出来名かもしれない。でもね、お母さんと何が必要なのか一緒に考えるから』という言葉でした。
> 勿論、この方は本当に勉強されている人で、行動も伴った人です。
> この方が、後輩達を誘って、勉強会や講演会では本当によく出会うほどです。
> そうやって、少しずつ『プロ』が増えていってくれることを望んでいます。
私も頑張ります!
> そうしたら、みたらしさんやゆっきーさん・・・または社会の中で辛い思いをする親達が、もっと元気になれるような気がします。
一人で全てを抱え込まないようにする援助・・・障碍をもつ方々の家族や周囲の方が自分の思いを、ありのままの思いをだしてもだいじょうぶな場所が、この掲示板だけじゃなく、実際の生活の中でも確保されるようにしていきたい・・と、つくづく思います。
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