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トガリさん返信ありがとうございます。
>「認知療法」という言葉は初めて聞きましたが、
>もしかすると私はそれに近いものを知人やカウンセラーから
>受けていたような気がします。
>そこで教わったがセルフカウンセリングで、怒ってしまった場面記述と
>その時の自分の感情、気持ちをわけて書いていくということでした。
>こうすることで、自分のことを客観的にみることができます。
セルフカウンセリングというと、自分で自分をカウンセリングしていく理論ですか?私も勉強中なのですが、医療の現場で患者さんに自分の問題に自分で気づいてもらって、治療に積極的に参加してもらうことをねらいにつくられた「ヘルスカウンセリング」の流れに基づいて書かれている本に
「親と子の心を繋ぐ聴き方・話し方 50の知恵」
というのがあります。子育て支援の一環として、保護者対象の勉強会を開催しておりまして、上記の本を一緒に読み進めながら、自分の子育てを振り返ったり、悩みを出し合ったりという時間をすごしています。毎回5人くらいの方が参加して下さっています。トガリさんが子どもへのいらだちや怒りの気持ちをコントロールするということを学ばれたことと同じように、「私はこどもを支配しようとしていたんだ」と気づいたり、実際に黙って子どもの言葉に耳を傾けてみるなどを実践してみるなど、お母さん方の学びの時間になっています。
>これは私にとっては自然にはできることではなく、
>常に意識のすり替えというのでしょうか、そういうことをやらないと
>いけません。でも自然にはできなくても物事をいいように意識をすり替える
>手段を知るだけでも役立ちます。
そうですね。きっと認知療法はそのあたりをきちんと勉強できるものなんだろうなと思います。
>長々と書いてしまいましたが、私は知人から色々と教わる前までは
>自己否定がとても強かったのですが、今では自己否定はかなり
>薄れたように感じています。
>また子供とも楽しく過ごせることのほうが多くなりました。
>自分で悪いように認知してしまうことでたまってしまうストレスも
>軽減されてきたように思います。
ありがとうございました。「自分が存在していることに安心できる」という自己肯定感を持てないお子さんが多いのは、親である私達自身がこの自己肯定感と無縁に生きてきたということの連鎖なのだとつくづく思わされます。発達障碍がないおこさんは、自分を守るために大人の前でいいこを演じたり、友達をけなしたおして自分を保とうとしたりする姿がみられます。
目にみえない心だからこそ、目の奥にある輝きやなにげない子どものしぐさや、送迎の際にお母さんと交わす言葉からいろんなSOSを察知できるアンテナをはっていたいと心から思わされます。
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