|
菜の花さん、こんにちは。
レスが遅れてごめんなさい。
> 樹村さんの場合で構わないのですが、具体的に一体どんな
> 感じで育ち、樹村さんはどういう経緯でそれに気が付いた
> のか、気づいた事で何か変われたのかなど詳しく教えて頂
> けると嬉しいです。
以下、覚えていることを箇条書きにしてみます。なんと言って
も3歳になる前のことですから、私自身が覚えていることも、親
から聞いたこともどちらも断片的なので。そこに無理矢理ストー
リーを作るとフィクションになって(^_^;)しまいますから。行間
は、菜の花さんの想像で補って下さいませ。
なお、箇条書きには
自分の記憶→自、母親から聞いた話→母、私の推測→推
と印を付けます。
<背景>
・ 母親は、山陰の田舎町から東京に出てきたばかりで、やや
ナーバスになっていた(母)。マリッジブルーも尾を引いてい
た?(推)
・ 出産直前、住んでた家の立ち退きを迫られ、さらにナーバ
スになった(母)。母親曰く「地上げよ地上げ。ヤクザ。怖か
った」だそうです。
<出産以降>
・ 難産だったので鉗子分娩(出口からわずかに見えている新
生児の頭部を、鉗子=医療用やっとこの大きいやつ=でつか
んで引っ張り出す方法)だった。このため、私は頭が左右非
対称に歪んだ、アニメのもーれつア太郎に出てくるでこっパ
チか、大袈裟に言うとエイリアンみたいな姿で生まれてきた
らしい(母)。他の人に聞くと「そこまでは酷くなかったよう
な?」だそうですけど、母にはそう見えた?
・ ちなみに、鉗子分娩による頭部の歪みはだんだん戻るみた
いですが、私の場合、その名残は中2〜3くらいまでは残っ
ていました。小4〜5年くらいまではよく見ると左右非対称
なのが分かる?程度、中学だと妙に頭が大きいのが分かる程
度?いじめの原因の一つでしたね(自)。
・ 産後鬱も重なり精神的に弱っていた母親は私の姿にショッ
クを受け、育児の大半を事実上放棄(推)。
・ 私の世話は、職人だった父親のお弟子さん達が担当(母)。
なので、弟妹は母乳で育っていますが、私だけ粉ミルクで育
ちました(母)。
・ この時期(0歳〜2歳半)の記憶が断片的に私にはあるの
ですが、「肩車されて銭湯に行ったことを覚えているんだけ
ど」とか「お花を摘んで貰ったことを覚えているんだけど」
とか母親に聞くと「あぁ、それは全部弟子の人との話だね。
私や父親はそんなことしない」という返事が返って来ました。
(自)(母)
・ お弟子さん達が私にどう接していたか、ほとんど覚えてい
ないのですが、上の段落のように、そう酷い接し方ではなか
ったように思います(推)。
・ 私が2歳半の頃、お弟子さんの一人が家のお金を持ち逃げ。
人間不信になった父親は、弟子を全員破門にすることに。つ
まり、私が父母と誤認していたお弟子さん達も破門。さらに、
母親が弟を妊娠。また、それまで父親の仕事が景気良かった
ので、家を買い引っ越すことに。そんなこんなで、私が家に
いると邪魔だったとかで、私は断続的に山陰の父母の故郷に
預けられます。2歳半〜3歳くらい?(母)
・ で、弟が生まれ、転居も済み、私は山陰から呼び戻されま
す(私が3歳になるかならないかの頃)(母)。
・ でも、戻ってみると知らない家だし、ワケのワカラナイ謎
の生き物(=生まれたばかりの弟)はいるし、知らないオバ
サン(母親は出産にあたって髪を短くしていたので、最初は
誰だか分からなかった。そのうち、以前近くにいたオバサン
=ホントは母親=だと気が付きましたが)は私を抱こうとす
るし、とても怖かったことを覚えています(自)。
・ 母親いわく「最初にお前を抱いてやろうとした時、お前は
嫌がって泣き出したんだよ。まったく。喜ぶと思ったのに、
血の繋がりを信じていたのに。ホントにお前は薄情だ」と。
触られるのが大キライなので、親だろうと何だろうと、触っ
て欲しくなかったせいもあって泣いたんだろうと思うんです
けど(母)(自)。そんなこと私本人に愚痴られても困るしー
・ ちなみに、元々不人情なせいか、父母だと2歳半まで信じ
ていたお弟子さん達に会いたいと思ったことはありません。
名前も知らないし知りたいとも思わない、好きでも嫌いでも
なく、単に他の他人同様関心がない(自)。
大体こんなカンジです。知ったのは小学校高学年でしょうか?
母親の愚痴で、私の昔の記憶が繋がった、という。
気づいて何か変わったか?というご質問ですが、別に何も変わ
りませんでした。「このせいもあって、昔っから"親子は他人の
始まり"という感覚が強いのかなぁ私って?」と思ったくらい。
※ なお、私にコメントされようとする方へ。先に[#15976]を
読んでみて下さい。
|
|