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▼Chiquititaさん:
返信をいただき、ありがとうございます。
ご指定された過去の掲示板を拝見させてもらいましたが、僕の読解力が低いのかよく理解できませんでした。Luluさん(Chiquititaさん)が、高度な職人技を持ち合わせるプログラマーだということは分かりましたが、すみません。
>▼フリッツ藤井さん([#15305]):
>>アスペルガーの子供が欲しいと思っている人も結構いますよ。
>>
>>まずは、アスペルガーが障害というのを改めない限り、何をやってもダメかなと思っています。
>
>という一節です。
>かなり多くの皆さんが不快感を訴えていられたコメントです。
実際にアスペルガーの子供が欲しいと思っている人がいるかどうかは知りません。ただ、アインシュタインやエジソン、野口英世などの伝記を読んだ人が「家の子もああいう天才だったらなー」というのはよく聞くセリフのような気がします。
つまり、伝記を読んで彼らに発達障害やその他の障害があることを知った上で、そういう子が欲しいといっているのですから、育てる困難を承知の上で欲しいといっている人がいるというのは理解できます。
(僕は伝記を読んでいないので例えが適切でないかもしれませんが、アインシュタインが言葉が遅かった、エジソンが耳が聞こえにくかった、野口英世が〜ということです。)
別にASがみんな天才だとは思っていないですけど、少なくともASで成功している人達(診断の必要がないASと言われる人達)もいるのに、なぜ皆さんはそういう人達から成功の秘訣を学ぼうとしないで、医者や専門家ばかりに頼るのでしょうか?
「身近にそういう人が居ない」というのは言い訳にならないと思うんです。だって、ASなんてもとから少数派なんですから、身近に居ることのほうが普通じゃないんです。探さないと見つかる訳はありません。
>私も正直なところ、ASが障害だと知って取り乱している人達(私もその一人)に対し、著しく配慮を欠いたコメントだと感じました。
僕は、なぜ取り乱すのかが分かりません。というのは、僕は「アスペルガー=障害で脳の機能が劣っている」という劣等コンプレックスを持っていないからです。
むしろ「今まで自分は普通だと思って生きてきたけど、どういうわけか普通の人と違うことをしてしまう、だから自分が変なんだ、何とかして変えなきゃ」と思っていたのが、「なんだ、やっぱり普通の人と僕は違うんじゃないか、ムリして合わせる必要なんてなかったんだ」と思えて、楽になりました。そのおかげでうつも治りました。
>その一方で、私自身も一時期は発達障害によりもたらされる困難は努力次第で乗り切れると考えていました。
確かに、世の中が変わらない限り、今の環境では自分がいくら努力しても困難から逃れられることはないと思います。僕が宿命的に困難を抱えてしまうというのはそういう事です。
ここで再度確認しておきたいのですが、Chiquititaさんを始め、この掲示板に書き込みをしている方々の使う"障害"という言葉は、どういう意味で使われているのでしょうか?
日本語で"障害"という言葉はとても曖昧で、英語で言うとdefect(欠陥)handicap(不利益)challenge(難題、障害物競争の障害)と様々な意味で使われると思いますが、ここの掲示板で散見する"障害"という言葉が、どうも脳の神経回路のdefect(欠陥)という意味で使われていることが多いように感じます。
handicap(不利益)という言葉は、元々cap(帽子)をhand(手)に持って物乞いをする罰ゲームから来たので、そういう人も居ればそうでない人も居る、という意味で微妙な気もします。
ところが僕の解釈では、3番目のchallenge(難題)なんです。
確かに僕みたいな自閉症の人は、生まれながらにしてコミュニケーション障害やうつなどの二次障害を宿命的に抱えてしまうchallenge(難題)な状況にあるでしょうが、それは脳の神経回路にdefect(欠陥)があるということではないと思っています。(もちろんそういう疾患や怪我のある方も含まれるかもしれませんが、そうでなくても自閉的傾向を呈するということです。)
普通の人と思考方法に違いがあることは認めますけど、defect(欠陥)があって劣っている、思考できないという訳ではないと思います。
例えば僕の読書障害という"障害"も、defect(欠陥)ではなくchallenge(難題)でしょう。なぜなら、古代には文字を使わない(発見されていない)文明も存在すると聞きますし、現在でも世界各地の少数民族の中にはそういう種族も居るでしょう。もし僕がそういう環境に生まれたなら、僕は障害を感じることが無いわけです。つまり、人間という種としては何も劣っているわけではないのに、文化によって障害を感じてしまう、一種のカルチャー・ギャップなわけです。
もし、文化という国や時代によって異なるスペック(要求基準)に適合しないだけで、それを人間のdefect(欠陥)とされてしまうのだとしたら、それはとんでもなく恐ろしいことだと思うのです。
例えば、女性の社会進出が許されていなかった時代ならば、女性という性別の違いだけで社会に出ることが阻まれていたわけですから、その時代では女性というだけでdefect(欠陥)とされてしまうわけです。
例えば、ある国で迫害を受けている少数民族は、その民族の血を受け継ぐというだけで、defect(欠陥)とされてしまう訳です。
それを変えるために医療にかかって薬を飲めと言われたらどう思いますか?
差別とか民族浄化にも繋がる恐ろしい思想だと思いませんか?
ASも昔から同じ割合で居たはずです。それなのに過去は騒がれなかったのに、今は社会問題化してしまう。
そうだとしたら、社会が危険な方向に進んでしまっているわけで、社会が合わせる必要があるわけです。
もし日本が、社会主義とか全体主義とかファシズムだからって言うなら理解できます。過去にもファシズムの国はそういう迫害を少数派に対してしてきましたし、今も続いています。
でも日本は民主国家なんですよね?
もし違うなら、アメリカに真っ先に来てもらって空爆してもらわなければならなくなります。
自由と民主主義を広めるためなら手段を選ばないアメリカの、こともあろうに同盟国なんですから。
だから僕は、なんで普通の人達がASで問題を起こすからと言って、薬を飲まなければいけないと思うのかが分からないのです。
長くなってしまいましたが、もしアスペルガーがdefect(欠陥)という意味の障害として扱われているのでしたら、皆さん考え直した方がいいと思うんです。
身体障害の障害とは意味が違いますよね?
おそらくフリッツさんはそういう意味で障害という言葉を使わないほうがいいといっているのではないかと思います。
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