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▼フリッツ藤井さん:
お返事をありがとうございます。
でも私の疑問に対しては全く答えていただけず、残念です。
療育ということばを使うな、ということですが、私は療育というのはどんな子どもにも有効だという考え方の持ち主です。むしろ藤井さんがおっしゃっているような個々人に合った教育という意味で療育ということばを使っています(その辺りのことは今までの発言やホームページに書いています)。
また藤井さんはそういう教育はアスペルガーの子どもだけに必要、といった書き方をされているようですが、そんなことは全然ないです。むしろ私の経験では発達障害ではない子ども達の方が早く効果が出る印象があります。
辻井先生も「広汎性発達障害の子どもたち」という著書の中で「療育的な発達支援(とても丁寧な子育て支援)は本当のところ、全ての子どもにとって有効で有益で、本当に実の話、特に発達障害ではない子どもにとって最も速やかに効果的であるともいえるのでしょう。(p.7-8」と書かれています。
そういう意味も込めて[#15340]で私と藤井さんの間では療育ということばの意味は違っていますね、という指摘をしました。相手が過去に発言している場合はそのことばの使い方にただ反発するだけではなく、まず相手がどういうことばの使い方をしているかを確認することが大事だと思います。
また、藤井さんはどうしてこの掲示板の人たち(特にお母さんの立場の方)から批判を浴びたのか分かりますか?
それはお母さん達(つまり家族や支援者)の苦労や手間を軽んじるような発言をしたからです。
現在では障害ということばの捉え方は従来のものとは変わってきて、通常のやり方ではうまく行かない人たちを支援するという意味で用いられてきています(特に発達障害の世界ではそうです)。何か欠陥がある、という意味だけで使っているわけではありません。
支援というのは適切ではないと言われるかもしれませんが、実際の所は定型発達のお子さん方よりも手間や苦労がかなりかかるのは事実です。つまりそれだけ支援する人のエネルギー、言い換えれば本来その人が使うべき命を使っているということなのです。
発達障害の家族、特に母親というのは鬱になりやすいという国内外のデータがあるのはご存知ですか?人間というのはエネルギーを出し切ってしまえば枯渇してしまいます。
そういう事情を考慮しないで「アスペルガーの子どもを育てるのは簡単」といった発言をするのはどうかと思います。とても無責任だな、と多くの人が思ったのではないでしょうか。
そもそも妊娠・出産という段階で母親達は多大なエネルギーを注いでいます。時には自分の命と引き換えにということもあるのです。また子どもを産みたくても様々な事情で産めない人もいます。だから気軽に「〜な子どもが欲しい」と言うのはマナー違反だと私は考えています。
それに私と夫はアスペルガーは被害者だなんて言ったことないですよ。むしろ被害的・迫害的にならないで欲しいな、と思っている方です(これは辻井先生も当事者へ向けて講演会で話していました)。
最後になりましたが、研究者と名乗っているのに自分にとって都合のいいデータだけを使おうとするあなたの姿勢には正直疑問を感じます。
研究者というのは事実を基に(例えそれが自分にとって都合の悪い結果が出ても)分析していくし、分析のためには多大なデータを集めます。人間の行動に関するある事実を証明するためには最低30人、理想は100人以上のデータが必要だと統計では言われています。事実アスペ・エルデの会は15年という長い間の活動を通して相当なデータを集め、それに基づいて支援をしてきています。それだけの実績があるからこそ多くの人の支持を集めるのだと私は感じています。
このサイトで研究者と名乗りたいのでしたら、今までの業績など研究者としての裏づけを示してください。自称では専門家と誤解を与えるので少なくともこのサイトではやめてください。
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