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コメントありがとうございます。(^o^)/
▼もりちゃんさん:
>「僕が手を下せば、僕が悪者になってしまう」という考えを持っていたので、殴る、蹴る、カバンを窓の外に投げ捨てられるetc.…我慢していました。だから、僕は泣き、わめきしたけれども、彼らに暴力を振るうことができませんでした。
確かに、暴力に暴力で対応すれば、悲劇は拡大します。しかし、このまま我慢するだけではマゾヒストになってしまう、私はむしろその方が恐かったです。
何故なら、黙っていても地域全体が発達障害にも身体障害にも偏見がひどいので、「悪事千里」だったからです。大人ですら、私が身障者だと見るや否や、放し飼いの犬をけしかけて私に犬に対する恐怖感を植え付けさせた程でした。
しかし、犬に対しては今はさほど恐怖感はありません。
>また、「誰かに助けて欲しい」なんて露にも思わなかったし(いじめを止めない人=加担者という図式を作っていました)
>その反動が、自室のドアを蹴る、壁を殴る、という行動に現れていたのかも知れません。
そうです。例え物に八つ当たりしてでも、ストレスを上手く解消できないと、2次障害にさいなまれます。
動物虐待やDVは八つ当たりの対象を間違えた結果ですが、加害者がストレスを感じていなければ起こり得ません。
私はストレス解消の手段を、「太陽にほえろ!」などの刑事ドラマの台本に求めていました。もちろん私が刑事で、いじめっ子が犯人もしくは殺人事件の被害者、という設定です。
しかし、ストレス解消が被害拡大に追い付かず、PTSDになりました。
>僕の場合は、「学校→必ず行くところ」という図式ができあがっていたので、例えいじめを受けようが、通学することで、「僕は負けていないんだ」と自己確認していました。
>その後も、ことあるごとに自分の考えを表明せず、言いたいことを我慢し、人の意見に同意することが多くなりました。
>なぜなら、自分が何を言い出すか、話に脈略のないことを言い出してしまうのではないか、という心気妄想に襲われ、「僕が我慢すれば、丸く収まる」と考えたからです。
>しかし、その反動で、気持ちのぶつけ先がなくなり、性的な逸脱行為に走ってしまい、結局は、自己破産という最悪の結末を迎えてしまいました。
素人の分際でこんな事を言うのも何ですが、「もりちゃん」さんもPTSDの傾向があるように感じます。
それは、私も(自己破産にこそ至りませんでしたが)深刻なビデオゲーム依存症を経験しているからです。
>一般的な人間関係を築けない僕にとって、何らかの考えを表明すること、感情表現をすることに、一種の怖さを持っています。
>だから、これからも我慢を強いられる場面が多いのかも知れません。
そうかも知れませんね。
我慢という作業は、常にストレスとの闘いです。身体障害でも我慢を強いられる事の多い私は、PTSDの原因が医療行為にまで及んでおり、整形外科はセカンドオピニオンを4箇所もまたに掛けるほどです。36年前、平均台から転落した時の骨折の古傷がフラッシュバックのトリガーになっているので、各方面からのアドバイスもなかなか受け入れられないのがつらいです。
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