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▼白(ハク)さん:
こんにちわ。
おそらく、はじめましてだと思います。
言語聴覚士&特別支援教育士で児童の発達臨床を学校でしていますnobody knowsと申します。
自身がADHDです。
障害認知と診断、さらに受容も含めてなかなか難しい点にコメントされたのかと思います。
保護者が自分のお子さんが広汎性発達障害と診断された後、私に話すことの多くに、
「私の子育てのせいではなかったのですね」
ということばがあります。
ずっと「なぜ」と悩み続けた方は、どこかで密かに「自分のせいではなかったか」と考えていらっしゃる方が多いようです。
また成人の場合、これは私の経験ですが、自分のアイデンティティが得られずに
「この生きにくさは、何からくるのか。やはり周囲から言われるような、自分の努力不足や性格のせいか」
と悩み続けていることがあります。
このようなケースの場合は、診断によって自分が発達障害であることが得られることによって、やっと一歩踏み出せるわけで、それゆえに診断をとても求めているのだと思います。
その一方で、
診断が「免罪符にはならない」ということがあります。
私も自身がASかと思ったのですが、診断はADHDでした。
ドクターショッピングはしませんでした。主治医のおっしゃることが納得できたからだけかもしれません。
とにもかくにも診断により、「そうだ」「そうではなかった」から当事者として何か始めればいいのかなと思っています。
今でもご自分のお子さんの発達障害を徹底的に否定し続けているご家庭を多く見ている中で、診断はとにもかくにも「はじめのいっぽ」なのだと思いますし、診断されてから始まるものだと思います。
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