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るーるーさん、レスをありがとうございます。
>覚えていらっしゃらないと思いますが、ずいぶん前にも一度レスいただいたことがあるんですよ。
そうでしたね。
あのとき私は専門医の診断の予約待ちとお伝えしました。
でも、結局断ったんです。
理由は先のコメントにあるとおりです。
>>「診断を受けてホッとする」のは、「障害を免罪符にする」ことと別物ですよね?
>この言葉、実はとても深くずっしりと受け止めて考えてしまいました。
>何故別物ですよね?と訊かれたのかしら、私はそう思われているのかしら?私はもしかしたら免罪符と思っているのか?と。自分を深く責めました。
あー、そのようにとられたのですか。
私の書き方が悪かったですね。負荷疑問ですよ。
○ 「私は『診断を受けてホッとする』ことと『障害を免罪符にする』ことは別物だと思います。るーるーさんもそう思われませんか?
× 「診断を受けて障害を免罪符にするおつもり? 違いますよね?」
>長年自分がまだわからずただ悩んでいた頃、人の言葉を聞いては「私もそうかもしれない…」とネガティブにとる癖がついたようなので、そのせいかもしれませんが。
そうなのかもしれないですね。
私もそうだったから。
おかげでうつ状態で入院していたとき、主治医ともめたことがあります。
だから、るーるーさんの最初の書き込みを読んだとき、
>>時々「あなたは診断に何を求めるの?」というようなことを訊かれたり読んだりすると、何故そんなことを訊くんだろう?と不安になります。
正直なところ、「気にしなくてもいいのに。過度に反応しているんじゃないの?」と感じました。
状況が分からないけれど、その相手もネガティブな意味で言っているとは限らないですから。
仮にネガティブな意味が含まれていたとしても、相手はるーるーさんの人生に責任を持ってくれるわけではありません。
るーるーさんが自分の判断に基づいて行動すればいいと思います。
発達障害に理解のある人ばかりではないのだから、思い悩んだり、エネルギーを消耗する必要はないですよ。
>彩花さんは「診断を受け止めてホッとする」と「免罪符にする」の違いは、具体的にはどんなことだと考えてらっしゃいますか?
「診断を受け止めてホッとする」のは、ダメな部分も含めて自分なんだと受け止めることです。
自分の間違いを認められるからこそ、改めよう、自分を磨こうという気持ちが生まれます。
これは障害の有無にかかわらず、必要なことだと思っています。
「免罪符にする」のは、障害を言い訳にし、自分を甘やかすこと。
自分の間違いを認められないから、他者に責任を転嫁します。
過保護が形を変えた虐待であるのと同じで、自分を甘やかすことは、自分を傷つけることだと思います。
ありのままの自分を受け入れられないのですから。
漠然としているけれど、お分かりいただけたでしょうか。
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