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▼yume☆さんへ
yume☆さんの記事を読んでいて、辛くなりました。
過去を思い出しました。
熱心な先生は確かにいることでしょう。
今や、自閉症教育の根幹を担うにふさわしいのはTEACCHの構造化でしょう。
でも、この構造化を履き違えている人たちのなんと多いことか・・・
構造化は、あくまでも、その子が次のステップに進むための手助けなるもので、構造化ありきではなく、『子供ありき』という事が抜け落ちる事もしばしばではないでしょうか?
構造化が悪いとは言いません。
我が家も構造化を取り入れています。
しかし、子供を苦しめたり、辛くするための構造化は意味が無いものだと私思います。
特に、アスペルガーの子供は、時にその構造化自体が、自分に必要なのかそうでないのか、理解できる部分もあります。
子供がそう感じた時には、それは必要ないのだと、どうして次の手段へと考える事が難しいのか、悲しくなります。
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> 息子は「先生の構造化は自閉症用で自分(AS)用ではない。」
> 「先生の言いたいことが分らない」
> 「文章にしてもらっても正直わからない」
> 「自分から気持ちを話しても通じない。」
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> と自傷したり、チックになったり、不眠、下痢、発熱を起こして休んでいます。
明らかな、ヘルプサインだと私も思います。
気がついてくださらないことに、悲しさを感じまし、どうしてこうも教師と親の考えは行き違うのかと、憤りも覚えます。
> 心理士の先生はスローステップで選択肢を与えながら、自分で考えて選んでいくことをさせていきましょうということでした。「学校での問題は本来、先生が↑のヘルプサインに気づき、適切な対応していくことが大切なこと」と理解したつもりでしたが、そのヘルプサインに気づいていない先生へ家庭からの情報として連絡帳に書いたのですが・・先生は「学校で」にこだわって線引きしてしまいました。
>
ショートステップやスローステップを望まず、学校でにこだわってしまったら、何のための養護学級なのでしょうか?
その子の速度で進む事が許されるのが、養護学級の役割だと私は思います。
> 問題行動があった時にその原因になった出来事が息子のどこにあったかといえば
> 質的な問題で、相手の行間が読めなかったことにありました。
> 文字で書かれても、その文章の行間が読めずに勘違いしてしまったり、説明されてもイマジネーションすることが苦手だったことに問題があったからなのです。
文字で書くと仰いますが、コミック会話のように、物事を説明する形の文章になっているか、いないかでは、受け取り手は大きな違いがあります。
> そこで、先生に息子に事前に説明する範囲を広げてもらったり、予測されるこの事柄を行間をうめた文章でお願いしました・・・。
> 相手の感情の動きについても補足して具体的な説明が欲しいと要望したのです。
>
> 先生は精一杯の努力をされてきているのに、私からこのような要望があるとは思っていなかったことでしょう。かなり、困惑されたようでその様子に私の胸も痛みました。
> 以前からずっと先生と息子の間の通訳(行間を説明して先生との感じ方の違いをすり合わせをすること)をしたので息子は納得することができ、息子のストレス障害も無くなりました。その後は先生への感謝の気持ちから先生の言うことを聞こうと一生懸命だったのです。
>
> 私がやっている通訳を先生にお願いすることは、無理なことなのでしょうか・・
>先生は「息子さんは私の説明を解っています」と主張します。
> しかし、息子にとっては「何をいっても信じてくれない人」「先生だけわかっているつもりでいるんだ」とかなり誤差があります。
私もこの『○くんはわかっています』と言う言葉を、何度、教師や他の保護者から言われた事でしょうか?
アスペの子供は、『わかったり、わからなかったり』と言う部分は、一時の理解でかき消されてしまいます。
そこで、わかっているとの誤解を受けてしまいます。
> この間、どしゃぶりの雨の中を両手に大きな紙袋をさげて、背中にはランドセル、胸のところには大きなダンボールを抱え、びしょぬりで帰ってきました。
> 「先生が一人で帰れって言った。傘がさせないのわかってて帰れっていった」と
>言いました。その後息子は嘔吐し、下痢をしてしまいました。
> 先生にいじめられたと思い込んでいたのです。先生は一週間前から荷物を持っていく表を書いて、計画的にもっていかせようとしたらしいのですが、図工で大きなダンボールを持っていくことを予測していなかったり、息子が夏でも低体温なので長袖、長ズボンを着て登校します。暑くなったら脱いで袋に入れて家へ持っていくことを先生は計算をしていなかったこと、発熱から休んでしまった日にちの分まで計算にいれずに、その計画表に息子を合わせたやり方をしていました。
> 先生は構造化はしているのですが、障害に合わせた対応や行動観察が苦手なように思えました。質的なものといわれれば、これ以上の支援は望めないものとあきらめてしまったほうが「私」は楽なのですが、一番辛い思いをしている息子を目の前にするとどうにかできないものかと悩みます。
どうして、臨機応変に荷物を少なくする事が出来なかったのでしょうか?
計画通りに荷物を持ち帰らせると言うのは、大人の方の都合で、そのときの子供の状況に合っていない気がします。
予定の変更が難しいのは勿論の事ですが、できない事をやれと言われる事の方がどれだけ辛い事でしょうか?
> 先生へも家で支援して成功している事例をレポートにして見てもらった時もあるのですが、「その場では思いつかない」ようです。
> 先生も息子もお互いに辛い思いをしています。
> 先生のプライドを傷つけないようにやってきましたが、3年間その行間の説明が出来ていない点について、話したほうがいいものか、最後の一年だから見守って息子のフォローに回って今の関係を維持するべきか・・。といろいろ悩んでいました。
>
> 私のように先生自身は素晴らしい方なのに、同じことで悩んだ方はいらっしゃるのでしょうか? その方はどのように考えられたのでしょうか?
> 支援の限界と考えたほうがよいのでしょうか?
> 教えていただきたいです(><)
私は、昨年、色々な方から、素晴らしい先生ですよと言われた先生と、関わる機会がありました。
勿論、その先生の言われている事は正論ですし、自閉症教育の上では納得の行くお言葉ばかりです。
しかし、こと、アスペルガーの対応に関しては、ズレを感じる事も多く、それを私の周囲の方にも話しましたが、皆、あの先生は熱心で素晴らしいという事を言うので、それ以上は閉口しました。
アスペルガーも自閉症スペクトラムに変わりはありませんが、実際の所、カナータイプのお子さんで成功した方法が、必ず100%アスペの子供に当てはまり、上手くいくとは限りません。
そこがわかっている先生は、子供本人を見て、対応を変えますし、そうでない先生は頑なに自分の方法をお守りになります。
我が子の実際もそうでした。
この何年間かの間にそういう人とも、出会ってしまい苦しみました。
でも、今やはり言えることは、その先生にとっては、うちの子と過ごすのはこの何年かの間ですし、公立でしたら転勤してしまえば終わりです。
しかし、私たちの子供はこれからの時間の間に育つ権利が有りますし、私たち親もそれを支えていかなければいけません。
時間は戻りません。
そして、耐性のある大人より、傷付きやすい子供の傷は、すぐには治りません。
それを考えると、もし私でしたら、自分の子供がよりよく暮らせる方を選ぶと思います。
これは、不登校の娘の例ですが・・・
6年間、先生のプライドを傷つけてはいけないと、やってきましたが、結局はこちらの傷付き損でした。
小学校卒業の1週間前に、やっと校長を含め話し合いをする決意をしました。
もっと、早くに担任のみでなく、多くの教員と・・・また教育委員会と話をすべきだったと後悔しました。
関わる人が多くなる分、事は大きくなりますが、良い知恵が出たり、理解者が出来たりと好転する事もありました。
先生と上手くやっていこうと思うのは、確かなのですが、義務教育は何年かで終わってしまい、その後は本当に自分達の力でやっていくしかありません。
だからこそ、今のこの時間が有効に使われなければいけないと、私は思います。
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