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▼ナイトメアーさん:
数日、忙しくて、返答をしようと思いつつ、遅れてごめんなさい。
>だけど、いつもあたりさわりないよう心がけ、議論することをさけ、
>仲がいいようでもどことなく警戒している。
>という、なんといいますか、日本人独特というか、そんな付き合い方は
>なんかさみしいし、逆に不健全な気がするんです。
ASらしい考え方っちゃー、らしいですよね。
まず、子供の話。
発達障害の子供達は、なかなか自分のしたことについて謝罪ができません。
理由に、否定されたくないというのもあり、「相手が悪いから」としてしまい、納得できないことには謝罪できない。
でも、納得できなくても、頭を下げればそれで済むことってあるでしょ?
即、「ごめん」って、言われたら、相手も、ちょっと不快に思ってもその場は「いえ、いんですよ」で通り過ぎる。
私自身、これが納得できないところがありました。
「そんな、心のこもってない謝罪を受け取って、嬉しいの?私は嬉しくないわ!今は大人だから、謝れと言われれば頭は下げるけど、相手はそんな心こもってないものを嬉しいのかしら?」
という理屈でした。
あたりさわりない対応って、ASからすると「心がこもってない」と感じるでしょうが、それは「広く気を配る」からであって、気配りなんですよ。
ところが、そのあたりさわりない が難しいASは、全力投球。
でも、全てに広く全力投球はできないですよね?
結果、配慮に欠ける行動をとることになります。
ASはこのあたりさわりない行動を、「冷たい」と感じてしまう。
一点集中のASを、逆に周囲は「配慮がない」と感じてしまう。
このへんのかな?
脳の方向性の相違で、異文化コミュニケーションたる点です。
でも、確かに外国文化だと「ストレートに表現する」方が美徳の国もありますから…やっぱ、日本の腹に含んで表に出さない文化は、AS、不向きかもしれませんね。
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