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▼kazeさん:
> ただ、非自閉親の一想いさんなら、人の気持に気付きにくい当事者の私よりも、もっとお分かりになると思うのですが、
私は、自分の方が人の気持ちに気付きやすい、とは思っていません。気付けないことだって、よくあると思っていますから。ですから、こう前提をつけられてしまうのは、ちょっと戸惑います。
>人って、同じ言葉を言うにしても、その人の心が現れる事がありますよね。
> そういう事を、アスペの人が必ずしも受け止めていないという事は無く、時に非自閉の方より、感度の高い形で傷付く事もあります。
非自閉の人よりアスペの方は傷つきやすいということを、分かって欲しい、ということでしょうか。
では、是非、非自閉の人も、傷つくことも、深く傷つくこともあるということを分かっていただきたいです。どちらの方が敏感か、とか、感度が高い、とかいうことは、そんなに重要なことなのでしょうか。お互い様、と考えるのは、ダメでしょうか。
アスペではない人がアスペの方を傷つけてしまうこともあれば、アスペの方がアスペでない人を傷つけることもあると思います。お互いに、そんなつもりは全くなかったとしても、そういう行き違いは、ありえる事だと私は感じているのです。
>その状況にいた第三者的(非自閉者の方です)なまたお二人にも意見を求めました。その結果、そういう風に聞こえてならないと言う答えを出しました。
二人、という数が適正なのかどうか?私には判断できません。ただ、もしかしたら、もう何人かの方に意見を求めれば、また違った見解なり可能性なりが出てきたかもしれない、その可能性はあるのでは?とは思います。
> その私の行動自体は無意識に行われた事で、それをどうしてかと責められても、私には説明が付かないという事を言いたかっただけです。
> 感覚的に、似ていた。
> だから、普段自分が自分の困り感に対応するように、他の子にもしてしまったという事なので、むしろ、私は、その方がご自分の口で理路整然と、こういう育て方なのでと言ってくださった方が、とてもわかりやすかったです。
kazeさん自身も、相手の方に説明がつかないことがあるように、
相手の方も、理路整然とkazeさんに話すことができなかった、ということではないでしょうか。そうして欲しかった、と思う気持ちはわかりますが、そうはしてもらえなかった、ということを責めてしまっては、いい方向にはなかなか進まないと思うのです。
> 例えば、身近なお母さんで、『私はどの子も分け隔てなく、悪い事は悪いと言って怒ってしまうからごめんね』と言うお母さんがいました。
> ところが、アスペの息子からすると、『駄目じゃない。やっちゃ駄目でしょ。そういう言葉使いはいいの』といわれると、叱ってもらうのはあり難い事なのですが、私からするとパニックを増大させる叱り方なので、暫らくその場は放っておいて、落ち着いてから『さっきのことはどう思う?良くないことだよね』と話していただくとすんなり入るのです。
なるほど。そういうことなら、そのお母さんとkazeさんとで、お互いの情報を伝え合えば、きっと相手のお母さんも、少なくともkazeさんの息子さんへの対応については、考えてくださるのでは?と感じたのですが、、。
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