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▼夕焼けさん:
はじめまして。
わたしの発言で、夕焼けさんを悩ませたり戸惑わせてしまっていたらすみません。
>障害を言い訳には出来ない事はわかっているつもりですし、したくないとも思っています。
>でも、障害により大変な思いをしているからこそ診断名を頂いたのだと思っています。
夕焼けさんのおっしゃる通りだと思います。
よく、障碍の告知をされると、ショックよりも「自分の生きづらさの原因は、障碍のせいで仕方のないことだったんだ。自分は悪くないんだ。」とほっとすることもある・・・と聞いたことがあります。
診断名は、自分の生きづらさの原因を知って、必要な援助を受けたり、少しでも生きやすくなるための道しるべのようなものだと思っています。
だから、「障碍があるから・・・」と言うことは、甘えではないし、逆に相手(学校の先生だったり、お友だちだったり)に自分の情報を与えることで、理解にもつながるのではないでしょうか。
自分の生きづらさを知り、そこを補いながら(たとえば、ソーシャル・スキルを勉強する、AS関係の本を読むなどなど・・・)、やりたいことにチャレンジしたり、それがもしも無理だったとしても、他の道を模索することが、障碍を言い訳にしないってことなのではないかとわたしは思います。
>
>障害を言い訳にすることなく、生きづらさを少し解消しながら、自己受容する。
これが、一番難しくて一番大切なことだと思います。
わたし自身、ここを行ったりきたりしている状態なので・・・
(定型発達の人のように見えるようにしたほうがいいのか?、ASの特徴を上手く利用できればベストだけど、でもどうやって?・・・などなど。)
ただ、わたしは、自己受容について考えるときに、ASは自分の全てではないと考えるようにしています。
確かに、ASの特徴はあるかもしれない。でも、自分って人間は、それだけじゃないよなぁ・・・と。
繰り返しになりますが、わたしも、この辺はまだまだ模索してる状態なので、ここの掲示板を見たり、日々の経験を積む中で取り組まなければと思っています。
夕焼けさんは、ASのお子さんのお母さまなのですよね。
わたし自身、結婚もまだ・・・という状態なのですが、子どもを育てるのは本当に大変なことだと思います。
ちょっとスピリチュアルな話になるのですが、障碍を持った子の親は、深くてあたたかなオーラを持った方が多いと聞いたことがあります。
あと、何かの掲示板で見たのですが、障碍を持った人は、前世で聖職者だったことが多いそうです。今生では、自分の身を持って愛を教えるために、障碍を選んで生まれてくるのだとか・・・(これを読んだ時、涙が止まりませんでした。)
長く、まとまらない文章ですみませんでした。
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