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樹村さん、こんにちは。
「苦手」という言葉には、「不得意」という意味と、「嫌い」という
意味とありますが、世の中でこれがいかにごっちゃになっているか、
ということを樹村さんとのやりとりで改めて感じました。
そして、「嫌い」だけであっても、やりとりの内容に興味が持てない
ところから、感覚過敏まで、様々な要因がある。
その細かい部分ひとつひとつが「少数派」であることによって、更に
理解されることが難しくなっていく。
樹村さんのこちらでの文章を拝見しても、「コミュニケーション
スキル」というよりは、「雑談に関する価値観の、周囲との違い」が
お互いの軋轢をもたらしているのだなぁと思いました。
身も蓋もない話になってしまいますが、やはり樹村さんはスキルの
トレーニングを受講したり本を読んだりというより、少数派の
価値観をいかに周囲に理解させていくか、が課題のような気が
しました。
妊婦さん、自閉症のお子さんの電車内用などのマークが生まれて来て
いるように、「会話が苦痛です」というのが分かる印があるといいです
よね。
他人の承認によって自分を保っているタイプの人は、常に誰かと話をし、
「私って〜〜でだめなんだよねー」
「そんなことないよー」
みたいな会話が酸素と同じくらいのレベルで必要だったりしますので、
そういう人には「私に優しい言葉をかけてください」マーク。
(すみません、すぐ上の5行は冗談です)
というか、こういうことを相手に想定し得ない健常の方も、相当に
「想像力に問題あり」といえるような気もいたします。
>同僚との会話は一切なく(つか、超多忙でそれどころじゃない)、
>宴会も必要最小限(歓迎会と送別会くらい)しかないのに、良く
>チームワークが取れ円滑に動いているところもあります。逆に、
>同僚との会話は頻繁にあり、宴会も折りにつけあるような部署で、
>部員同士の仲が悪くチームワークも最悪のところも。
そうです。たしかにこういう例って少なくないと私も感じます。
> つまり、同僚との雑談なんて、本来不必要なものだと思うんで
>すけどねー「部内の潤滑油として絶対必要」って誤解している人
>が多くて、困ります。
こういう方は、先にも書きましたが、「他人とのつながりや、
承認」がないと生きて行けないような人だったりするものです。
より掛かり合うことを美徳とする人も、結構多いように思います。
話がずれるかもしれませんが、斎藤環「ひきこもり」救出マニュアル
のはじめの部分で、
欧米の自立モデルは「家出」であり
日本の自立モデルは「親孝行」である
これは儒教文化と日本独自の「甘え」の文化から「相互に甘え合う」
ことを望ましい親子関係とするようになってきたのではないか
という内容の文章があります。
日本の人間関係の「型」を理解するのに、面白いなと思いました。
樹村さんがどこに妥協の着地点を見いだすのか、またお話を聞かせて
いただければ幸いです。
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