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昨日地元の駅に隣接するデパートの本屋で、雑誌コーナの一角に置いてあった、“日経サイエンス”の最新号の“自閉症と理系思考”という見出しに目が留まりました…
読んでみると…バロン・コーエンさんの論文で、次のようなことが書いてありました…
#自閉症やASの人の家系を調べてみると、その方のお父さんや父方・母方をとわずおじいちゃんは、エンジニアなど理系の分野で活躍している(していた)人が多い。父親がエンジニアだと…その子供は12.5%と有意に高い率で、自閉症およびその周辺の障がいに罹患していた…#
僕は…図星で当たっています!
10年前他界した父は、“汚水処理プラント”の設計をやっていた生粋のエンジニアでした…
夜家に帰ってきても、徹夜で図面だの微分方程式だのと格闘していて、なんか話したくても話しづらい感じでした。
僕はどちらかというと計算や図面を描くことが苦手だったので、そのことできつく叱られたので、父の前で勉強ををすることが恐ろしくなり、宿題がまだ済んでなくても父が帰ってくる足音が聞こえると、急いでノート教科書をしまって、声を出さずに布団の中で息を殺していました…
酒を飲んで帰ってくると、決まって僕のしつけについて、母を厳しく責めてていたので、立つ瀬がなかったです。
それでも…得意先が“お菓子工場”だったりすると、そこの巨大な“業務用チョコレート”を買ってきてくれたり、遠方へ出張したときには、そこの銘菓をお土産に買ってきたり、電気のスイッチが壊れたのや洗面所の配水管の詰りの修理などは“まかせろ!”的にやってくれたり、何とか家族と親和しようと、勤めてくれました。
亡くなる日…父はどうしても“お前、俺と暮らして幸せだったのか!”と確かめるべく、苦悶の表情で僕の顔を見ていたので、“お父さんと小学生の頃、海で釣りをしたとき…本当に楽しかったよ!”といってやると…心電図の波形が“ありがとうよ!”という感じで6回うねり、その後、すうーっと真っ平らになって、息を引き取りました…
でも、今でも、フラッシュバック的に激しくののしられたことを思い出すので、未だに父の仏壇には、自らすすんでお茶や水を供えないことが多いです。
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