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一応、アリステイデスさんは御存知かとは思いますが、改めて…
▼アリステイデスさん:
> 練習していて技術の向上するスピードがすごくゆっくりして
>います。平均的な運動神経の人と比べたら、甘く見積もっても
>5倍くらいの時間がかかっているようです。実際は7〜8倍
>くらいかなあ。でも、少しずつではあっても確かに進歩して
>いくし、何よりも精神的な充実感は大きいですね。
私の場合は、そういうのを味わったことがありません。(;_;)
変形性股関節症のリハビリですら、「こんなに進捗の遅い患者、20歳くらいの人ではChiquititaさんだけですよ」とか、「貴方の場合、60代並みのスローペースですよ」と言われたことがあります。
やっぱり北海道というのはよほど身体障害に対する偏見が強いのかな?
> 僕の場合、他人と競争することが目的ではなく、自分自身の
>挑戦というつもりでやっています。他人と比べて進歩が遅く
>ても構わない、少しずつでも段階を上がっていけばいい。そう
>いう考え方でやっているからこそ、続けられるのだと思います。
もちろん他の方もコメントされていらっしゃいますが、非常に大切なことなのかな、と思います。
自動車の運転免許の取得においても、親父が死んだことで家族の中に車を運転できる人がいなくなったということから義務感みたいなものがありましたが、私自身はあくまで「もし何回もトライしてできなければこれが実力なんだ」というのが頭の中にあったので、その分開き直ることができたのだと思います。補習は確かに多かったですが、健常者や定型発達者に比べても卒業に要した期間はあまり変わりませんでした。
「AT限定」という横着こそあっても思ったより簡単に免許を取れた、それだけでなく14万km人身事故ゼロ(相手が加害者の人身事故はあったが)という実績も自動車学校での経験があってのものだと思います。
> もうひとつ、通っているクラブが僕のような人間でも受け
>入れてくれるところだから、続けられるという面もあります。
> もし、体育会系の部活動などだったら、間違いなく不可能
>でしょうね。体力的に無理ですし、限られた時間のうちに
>ある程度以上、上達しなければならないような場にいることは
>難しいと思います。
そうですね。
私の場合はそういった環境がなかったから、体育の授業でさらし者にされたことや女の子のグループにいじめられたことが原因でフラッシュバックして、今なお運動をしようとしても体が硬直してしまいます。
フィットネスクラブで運動するのなら、専用メニューだけでなく、身体障害に対して偏見のない人をトレーナーに付けないとダメなほどです。そうなると会員制のフィットネスクラブしかない。これは結構フトコロに響きます。
> 定型発達者(健常者)の文化との関係でコンプレックスや疎外感
>を感じていた者として、次のようなことを思います。
> 「速く上達して良い成績を出すことだけが唯一の道ではない。
>ゆっくりであっても、不得意ではあっても、可能な範囲で楽しむ
>のも、ひとつの生き方」「優秀者を集めた集団とは別に、能力は
>乏しくても楽しみたいという人が集まる場があっても良いのでは
>ないか」。
> 定型発達者の文化を否定はしません。でも、社会にもうひとつの
>選択肢があってほしいと思うのです。
その「早く上達して良い成績を出すこと」を求めている環境のひとつが学校である、というのが大きな問題でしょう。
実際、普通学級への通学を希望する障害児が増えているにもかかわらず、学校の教育カリキュラムはむしろ年々障害児にとって敷居の高いものになっています。主要5教科(小学校は英語を取り入れている地域が全国的ではないので4.5教科)よりも、体育の授業のレベルが上がっているのが目立ちます。
その結果、障害者に対する偏見がますます助長されることにもなりかねません。すなわちいじめです。
自宅の近所には養護学校もあるので、障害者に対する偏見をなくそうと近所の小学校では養護学校との交流授業も積極的に行っています。
そういった取り組みがあるおかげで、茨城では北海道に比べて障害者に対する偏見が少ないのかな、と感じています。
30年前の話で単純比較はできませんが、私が小学生だった頃は障害者が普通学級に通っていること自体が間違いだという考えが生徒ばかりかPTAの中にも蔓延していました。
それと、今の「努力の大切さを伝えるより結果を出すこと」を要求する今の教育方針が、外見こそ違っていても根本的にはほとんど変わりないような気がしています。
障害児に配慮した教育が特色として打ち出されているのは、公立よりも私立のほうが多いようですが、結果優先(悪く言えば障害児切捨て)の教育も私立のほうが目立つように、私には感じられます。
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