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コメントありがとうございます。
▼るーるーさん:
>不登校になっても「いくら勉強出来たって人づきあいが出来なければどうしようもない嫌な奴なんじゃないか」と自分を責めてましたね。
>周囲もみんなそう言うわけです。将来社会に出たら必ずついてまわる、と。
>それは確かにその通りなんですけど、「だから今はなるべく好きなお友達をゆっくり作って楽しみなさい」とは言われなかったので、そこがすっぽ抜けちゃったんです。
私の場合は、不登校が大学へ行ってからでしたが、身体障害が誤診により悪化して一時は前途歩行不可能の状態が危ぶまれるほどだったので、それまで積み上げてきたものが音を立てて崩れるのを感じました。崩れる音まで聞こえてくるようでした。
「悲しいときは身一つ」とはよく言いますが、誰にも助けてもらえない寂しさの前には、学力も技術力もあまりにも無力です。
しかし、親父もオフクロも「人間関係の前に仕事or勉強ありき」という考えに縛られていました。それは、親父もオフクロも家庭の事情で中卒で終わってしまったという引け目があるのではないのかと、私は捉えています。
何れにしても、親の考えが子供を束縛するというのには賛成できません。
>そろばんは授業でやっただけですが、もう全く出来なかったです。
>理解出来ないし身につかないし、わざわざ計算をややこしいやり方でやってるだけみたいで
>何の意味があるのかわからない…と頭抱えてました。
>Chiquititaさん、すごい計算能力なんですねー。そこまで乗算は出来ないです、私。
私は現在(珠算)1級を持っていますが、やはり指がもつれることがあって暗算は得意でも見取り算(加減算のみ)が異常に点数が悪いというのがあり、また伝票がうまくめくれないので伝票算が一番苦手でした。このため、伝票算が種目になかった4級までは順調でしたが、3級は5回目でようやく合格、2級に至っては12回も受けてようやく合格、という体たらくでした。
>計算の話で思い出しましたが、「池袋ウエストゲートパーク」というドラマに、LD(ということになっている)の男の子が出て来る回がありました。
>その子は街角でひたすら通行人の数を数えていて「頭が働きすぎちゃって、数を数えていると落ち着くんだ」というんですけど、私はそっちに近かったような気がします。
考えてみると私もそれに近いですね。私の場合は英語の台詞を考えたほうが落ち着くことが多いです。
>意識は失いませんが、ふらっとして倒れかかっちゃったりもするんです。
>あと、思考力が落ちてるみたいで、
>東京に行く用事があったのですが、帰りに新宿から上野に出て、上野から新幹線で帰るのに、
>新宿駅に着いてから上野駅までに、何故か3時間かかりました。
突然放心状態になる、というのは私も経験しますが、私の場合は時間よりもむしろ大金を使った覚えがないのに財布の中身が急に軽くなっている、というケースが多いですね。
>親や身近な人を美化(完璧な人間に見えてしまう感じ)したくないという思いと、自分がASだということは、果たして一致するんでしょうか?
>また、忘れたいことがあったらどうしますか?
>皆さんはどう思われますか?
>(これってまだ焦ってるのかもしれませんが)
やはりトラウマやPTSDが関係しているんじゃないのかな? 北海道にいたとき、自分は幼児虐待とは無縁だと思っていたけど過保護は感じていたので、幼児虐待と過保護とは紙一重だという認識はありましたが、茨城に来てから、言葉による虐待があったことに気付いて愕然としている、という有様です。その思いは時間の経過とともにエスカレートするという状態でしたが、最近はむしろ落ち着いています。
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