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初めまして。
どこかに自分の考えを吐き出したい衝動に駆られて、こちらのサイトに流れ着きました。
稚拙で独りよがりな部分もあると思いますが、読んで頂けたら幸いです。
今、自分が思っていることがあります。
それは、健常者ってなんだろう、ということ。
身体面・精神面の両方において考えられることではあるのですが、ここではアスペルガー(自閉症スペクトラム)に限定して考えています。
健常者ってなんだろうと思うに至ったきっかけは、個人的なことで恐縮ですが、自分に恋人ができたことです。
そして、彼女と過ごす時間が増えるにつれて、もしかして彼女はアスペルガーではないかと思うようになりました。
彼女のどんなところを見てそう思うようになったかとか、それは本当のことなのかとか、それで僕が何を感じたかとか、そういった具体的な話をすると長くなりますし、『健常者ってなんだろう』という話とは関係のないことなので割愛させて頂きます。
アスペルガーについて、高機能自閉症について更に詳しく調べていくうちに、自分の父親もまたアスペルガーに近いことに気がつきました。
近いというより、そのままアスペルガーに見えます。どうして今まで気がつかなかったのか、驚きの気持ちが今もあります。
更に、アスペルガー症候群の方が運営されているウェブサイト(ペンギンクラブ/ペンギン日記・http://www2u.biglobe.ne.jp/~pengin-c/index.htm)の文章を拝読していた時に気付いたことがありました。
管理人の方が書かれていること、心の動き、考え方などが、僕のものとほとんど同じだったのです。
こういう考えをアスペルガーと呼ぶのならば、僕もまたアスペルガーに近いということではないか?
ここで明確にお断りしておきたいのは、僕は自分にレッテルを貼って、勝手に自分を病人にして喜びたいのではありません。仲間に入れてもらって不幸に酔いたいわけでもありません。
アスペルガーとは別種の軽い精神障害を持っていることもあり、そういうことには興味がありません。
もしかして自分もまたアスペルガーに近いのではないか。
そう思えば、確かに思い当たるところはあるのです。
少し話がそれますが、僕には独自の精神的世界があり、自分の理論を持っていました。だけど、自分と他人は精神的に同じ世界にいると思っていました。育った環境や経験、好き嫌いなどで考え方が違っているだけだと。
例えて言うなら、一枚の紙の上(二次元)に存在しているけれど、方向(ベクトル)が違うのだと思っていました。
それが、紙の上(二次元)ではなく本当は箱の中(三次元)なのではないか。今まで見えていなかっただけなのではないか。
納得できるようなできないような、不思議な感じです。
そこで、今までの人生の中で出会った人や、その時のコミュニケーションなどを思い出していくうち、みんな多かれ少なかれ、アスペルガーっぽい部分がある気がしてきました。
だいたい、自閉症スペクトラムの概念というのは、黒と白だけではなく濃淡のある灰色も加えた広い概念ですから、みんな多かれ少なかれアスペルガーに当てはまっているというのは当たり前であるのかもしれません。
正常知能の成人向けに、自分の「自閉症傾向」を測ることのできる「自閉症スペクトラム指数(AQ)」(http://www.nise.go.jp/kenshuka/josa/kankobutsu/pub_f/F-112/05.pdf)というのがありますが、これを読むと、無作為に選んだいわゆる健常者に対して実験を行ったデータから、健常成人のもつ自閉症傾向にも個人差があるという結論が出ています。
本物の健常者(?)が世の中の多くを占めているというのであれば、得点分布のグラフがゆるやかな山形になるのはおかしい。得点が0の人が(ほとんど)いないのは変だということになります(AQでは得点の低いほうがより健常ということになります)。
社会的に境界線が必要なのだということはわかる気がします。
自閉症傾向が強い場合、それに名前をつけておいたほうがいいような気もします。
灰色のままでいいではないかと言ってる訳ではありません。
つまり僕は、「なんだ、結局みんな仲間なんじゃないか」と思ったのです。
そして、こう考えることで、精神的な負担が軽くなり、他人と接するのが少し楽になるような気がしたのです。
専門家の先生にアスペルガーと診断を下された人同士であれば、コミュニケーションしやすいかと言えば、そうでもないんじゃないかと思います。
仲間だから仲間の考えてることがわかる訳じゃないと推測します。
なら、今まで健常者だと思っていた人が、実は健常者じゃなくて自閉症傾向の弱い人だったのなら、コミュニケーションがしにくくても特に不思議じゃない。
むしろ、相手を「ちょっと自分に近い人」と思うことができるんじゃないでしょうか。
健常者にはわかってもらえない、って悩まなくても済むんじゃないでしょうか。
詭弁かもしれませんね。単なる屁理屈と言ってもいいかもしれない。
けれど少なくとも僕はこう考えることで、前述の彼女との付き合い方がかなり変わりました。父親に対する気持ちも変わりました。
しかし、「他人と違う」と言われ続け、思い続けて今更「他人と同じ」とはなかなか思えないかもしれませんね。
やっぱり独善的なのかもしれない。まず、自閉症傾向の弱い人に伝えないといけないのかも。
長文な上になんだかすっきりしない締め方でごめんなさい。
感じたことなどがあれば、教えて頂けると嬉しいです。
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