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▼Fさん:
こんにちは。Fさんの文を見て、いろんなことを考えました。
また、段落をつけてくれてありがとございます。読みやすかったです。
ただ、話題が、難しいので、ちょっと困ってしまいました。
それと、題名に名前が出ていたのでびっくりしてしまいました。
私の正直な気持ちを書かせてください。
>
>僕は視覚(斜視)とアスの症状でチョッと似てる部分があるように自分で感じてて(原因はどちらもなんらかの脳の器質がで)アスでいうところの自己顕示欲等が強すぎるとかんじるのは(心因は別、器質だけで考えて)目の苦痛(あっぱく感)からかなのか(脳よりそちらが強いのか)、脳の器質そのものからなのか(目からよりも)かよく分かりません。両方なので純粋に感じられないため。
この事に関しては、私は専門家でもないのでわかりません。
でも、そう思う気持ちはわかります。
斜視は角度がきつくなると、自分が、どこにいるのかもわからなくなります。
それに、なんだか、ふらふらしますよね。
私は最近の病院の(精神科)診察で、「道の覚え方」の指摘を受けました。
それは、多分ASの見え方で、斜視には関係しないようです。
でも、時分では、「斜視だから」じゃないかなあって思ったりもしたのです。
>再度、目の苦痛がレーシック、かつ斜視手術で改善されれば、よくなれば目とともに自己顕示、トシュツ感がよりアスっぽさがよくなりそうなきがするのですが、、。対人面も楽に、、。
私は、視力が、小さいころでなかったそうです。
そのため、1度何のかはわかりませんが手術していると聞いています。
手術する前の自分の人間関係と比べてみて返事を書こうと思いましたが、全くおぼえてないので発言は控えます。
まあ、見た目の感じも変わるので、人からの第一印象は変わるかなあとは思います。
>カンタービレさんも僕と同じように成人で斜視あるのでどう感じているか聞いてみたくて、。あまりみあたらなくて、、。
私はFさんとは少し違う思いがあります。
もちろん、発達障害でここが苦しい、どうすればいいんだろう、そう思うことはたくさんあります。
でも、ASだから得たものもあるんです。
私は音楽をしています。
多分ASでなければ「音に興味を示す」ことはなかったでしょう。
斜視でなければ「きれいな音」を追及しようと思わなかったでしょう。
私もFさんも「生きにくさ」は持っています。
前、Fさんが書いていたように、それはハンデを化されているようです。
でも、もし、そのハンデがなければ、今生活を支援してくれている方々との出会いはなかったでしょう。
Fさんの眼科の先生との出会いも、ASの先生との出会いもなかったことになります。
私は足が片方悪いので、バスや、タクシーを利用して、センターに行っています。
バスやタクシーの運転手さんにも、色々な迷惑をかけています。
降りる場所でないのにじっとしてられなくて、ドアをあけて押さえつけられたこともあります。
でも、その人たちは、私の「生きにくさ」を補助してくれている気がこのごろします。
ある方が、こう教えてくれました。
「できないことは手伝ってもらえばいい。そして、そのときに、ありがとう。今度は私にできることを手伝わしてくださいといったらいい」
私はASで、辛いことはあるし、他人と比較され、苦しい思いもあります。
でも、それと同じくらいの「愛」を受けていると思います。
Fさんも、いつかそう思える日がくるといいなって思いました。
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