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はじめまして
レスありがとうございます(^o^)
>私自身がADHD気味なので(言い訳がましいですが)、息子の言動がどうにも癇にさわって仕方なかったのです。
私もあります〜☆親だって感情はありますから(^o^)いけないことは「いけない言動」として、言葉の変換を指示してみると有効な時もあるみたいでした。
例「バカ」(相手を傷つける言葉)→「ほっておいてくれ」(行動の支持) のような感じでした。
>末っ子なのでとても可愛がってる反面、つい きつい言葉でいろいろ注意してしまう事が多かったです。
>学校でも家でも否定されることが日常茶飯事だった息子は 今 自己評価が低いどころか、自分なんか生きている価値がないとさえ言います。
第一次思春期は「自立心」があるのとホルモンのバランスが不安定になるから、お互いにきついですよね。
息子も自己評価が低い子でした。自傷もしました。そんな時は、お互いに休みました。「あなたのリズムでいいと思う」「あなたは休みながら頑張るタイプなんだね。」と・・。お互いに自分の時間を楽しみました。何日も家の中で休んでいると悪いほうにばかり気がめいってしまいます。一つだけ約束させたのが「天気のいい日の公園の散歩」でした。
何にもしゃべらなくてもいい、ただただ風を感じるだけでもいいと思いました。 息子が話し出すまで私は無言で過ごしました。 息子が話しかけて来た時に、聞き役になって共感することができたのです。晴れた日に「ねえ。今度は何処に行こうか?」ワクワクと言う私がいたのです(笑)
>もっと早く気付けば良かった、息子を丸ごと受けとめてあげていればと、後悔するばかりです。
うんうん。私もそう思いました。私の息子も小3で診断名が分かり、それまで散々辛い思いをさせてしまっていました。
沢山の人がいて、沢山の違った想いもある中の「自分」でよいのだ。と思えることが大切なような気がしました。
息子は詩を書きます。私は本心で素晴らしいと思いました。荷物を持ってくれた時の息子の優しさに感心しました。自分の気持ちを話せた時の勇気を褒めました。
何かの自発的な行動はすべてにおいて、進歩だと思ったのです。それはすべて息子というたった一人の人間の持つ素晴らしいところだと思ったのです。
>暗い話になってしまって ごめんなさい。
>でも 私はあきらめたわけではないのです。
>なんとかしなければと 思っているのです。
いえいえ。謝らないでください。その思いにたどり着いたことこそが、素晴らしいと思いました。母の強さを感じます。 私は自分自信を許してあげた時に、また違った息子に出会えたから不思議でした。(^o^) きっと始まりはここからなのですね。
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