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▼ウォルフルさん:
レスありがとうございます。こんな話に関心持ってくださってありがとうございます。
寒いのはつらいものですね。一日の終わりに冷えていた部屋を温めるだけで力尽きて、頭のドーパミン充電までとても手が回らない。お待たせしてしまいました。
>聞く姿勢ってものは案外重要で、こちらが幾ら分かり易く説明を試みてみても相手側に聞く姿勢というものが出来ていないと「それって定型発達者である自分には関係ない話だよね」って突っぱねられる事ってよくあります。
それはそうですよね。現実ですよね。
当事者が自力の限界をいくら感じて、発達障害って言葉があるの?それって何?から調べて、力の配分から何から日常生活全ての意識を変えなければならないところまで到達しても、ただ、ただ周りの人との意識のズレが無限に広がり続けてしまうだけのものなんですよね。
家族も、外の世界の人たちも、地域によってはお医者さえも、無関心でいる自由がありますからね。
私達に、怯えや危険の無い穏やかな人生を生きる人権とか無いのかというと、あるんですよ。そういうことになっているけど、「仕事したい。自活したい。苦痛があるから支援受けたい。」と声に出して言って返事をもらう権利と、その先からが無いようなものですよね。人権が守られる権利が無い。
私が勝手に一般化して結論付けているようなことですが、発達障害には自分の人権を自分で守る能力が足りないんですよ。できないことを「できない」って言う力さえも、外から教えられてやっと言い始めた人も多い。
つまり他人様を頼らないと、寝食は自分でできても、社会参加が成り立たないんですよね。そういう障害が、確かに存在していて世界中の学者先生が今なお調べていて…。
人権が“ある”ものであるならば、しゃべりたいことのどこからがしゃべっていいことで、どこからが自己正当化という、我慢するべき域なのかの線引きも、存在するべきだと思うんです。
人権が存在するならば、人権と自己正当化の線引きも本当は第三者の手で用意されるべきで、そこからやっと、人権が具体的に使える形で存在することになると思うんですよね。
そうでないと子どもを持つ親御さんも、子どもの背中をどこへ向かって一心不乱に押していけばいいのかが分からないですよね。
子育てって一心不乱にやるものだと思いますが、やることが分からなければ、子どもの手を少しずつ離していくことも、親離れの計画を立てることもしづらい。
なんとなーく自分の子の人権を守ってくれそうな人たちがいそうなところ、とか、空想世界のような物凄く漠然とした場所を探したって無いものは無い。
支援場所は「社会に出ていって教わりなさい」と言い、学校、企業の社会は「できないことがあるくせに自己都合で社会に出てこないでください」と言い、親族は自分自身の都合をとおす権利が認められる。
発達障害診断ビギナーのころ、当事者だけじゃなくて社会全員が疲れる時代がいつか来るような悪い予感がしていましたが、今、すでに来ているんですよ。
誰が誰を煽っても、誰が誰を挑発しても、誰が誰を問い詰めても、もちろん当事者を吊るしあげても、当事者含めて誰も困難を解決するための行動を取れなくなっているんですよ。
悪いのは誰?という決着を、十年以上も延ばされて延ばされてきているんですよ。
“人間”なのか“囚人”なのか。囚人なら囚人で決着を付けてくれと言いたくなる時があります。
>人間って自分が生きてゆく上で利害関係の発生する事柄には価値を置き、利害関係の少ない情報はどうでもいい情報として無視するといった意味ではとても功利的な生き物で、説明を試みるからにはまずこの部分を抑えた上ではじめて「説明が分かり易い」「本質を捉えている」「話が簡潔」といった要素も活きてくるのだと思います。
功利的という単語は初めて教わりました。教養をお持ちなんですね。
生き物だから、利害に反応するのは自然なことですよね。
>「発達障害の子供がのびのびと成長しにくい様な社会は定型発達の子供にとってもまたのびのびと成長し憎い社会である」
>「失敗を許されない社会とはつまり弱者に冷たい社会。人は失敗を経験として重ねることで強くも賢くもなって来た。ただの一度でも失敗した切り二度とチャレンジの機会が与えられない社会は結局人の成長の停滞を招き衰退してゆく」とか
>発達障害という問題が当事者だけにとどまらず、すべての人の今後の生き方や幸福とも関わってくる重要なテーマだという事が自ずから分かれば
とても分かりやすい説明、ありがとうございます。
ASへの説明のご経験を積んでいらっしゃるのでしょうか。
>「読んだ側の印象に強引にでも残るような」文章って多分上記で私が言った事がよく配慮されていると思う
>話す相手側に一旦聞く姿勢というものが出来てしまうと、後はこちらから特に説明しなくても良くなる事が大半です。文字通り「何も言わなくてもよくなる」人は利害関係の高いことにはアンテナを張り、自分で納得できる回答がえられるまで自主的に学ぼうとするからです。
>幸いにして日本にはネットも書籍もあるし発達障害の事を知るにはもってこいの環境は出来ています。多分これらの要素が充分活用されていないのは「自分とは関係ない」と考え、消費者側に読む姿勢聞く姿勢が出来ていないからだと思います。
>仏教思想の中にもこの世は一つの全体であり、自分とは関わりのない事柄など一つもないという教えもありますけど、過去の言葉すら省みられないほど現代は慌ただしい世の中になって仕舞ったのでしょうか?
残念ですが、あわただしいんでしょうね。
そんな時代に、自分の人権の守り方を知らない、自分の人生の目的すら人様に引っ張り出してもらわないと感じられない、感じられないと脳内物質のピンチになって破綻してしまう私達は、非常に依存的な、時代に逆行した生き物なのでしょう。
さて……
そんな生き物でもサポートしないと、一般社会のみなさんにどんな損があるか。
サポートしたらどんな得があるかの視点で考えるんですか………。
明日は我が身と思いつつなんですが、ニートさんたちの人口って、成人者数の何パーセントでしたっけ。何年後には20%になるよ、という説は見たことがあります。
ニートさんたちもそれぞれの事情があって、すごく辛い。それでもあえて支援して社会に出すことで、生産力が上がりますよ、税金が集まりますよ、そういう、めでたしな説を作れたらいいでしょうかね。
一度挫折してニートさんになっても、支援してまた社会へ戻せるシステムができれば、子ども時代から無理して根性のある子を育てなければならないような圧力を、教育者に求めなくても良くなりますよ、体罰をする動機が無くなりますよ、特に発達障害を持つ人間は、一生が成長期だから成人前に無理して社会性を高めなくても、損しないようにサポートする仕組みを作れたら、世界に先駆けたシステムになりますよ……そんな理想論でもこじつけましょうか……?
難しいですね。
不全感が自分に向かえば、行き着くところは精神疾患を伴ったニートさんになる場合が多いですが、自分に向かわないで他人に向けられる性質を持った場合は、行き着く可能性は犯罪者ですよね。
犯罪も予防できますよ、もし不幸にもしてしまっても、更生したらまた労働者として税金を集められますよ、そういう要素も入れましょうか。
でもこれでもし、話題として盛り上がってしまったら、発達障害者と、ニートさんや犯罪者が=で結ばれてしまうような、差別的な事態がおきるんですよね。
これで、広いネット界のどこかが炎上しかけた例を、過去から飽きるほど見てきています。
お腹いっぱい、飽き飽きですよね。
でも、伝言ゲームというものは短く短く、過激に誤解もされて伝わる物ですから、それには対処できませんよね。
被害を防ぐ方法として、パブリックコメントのような形でも、匿名提出は必要でしょうね。
個人情報は守りますと但し書きがあっても、ネット界は何が起こるか分かりませんからね。
これでどんなもんなのでしょうねー。
当事者の自己主張、謙虚で、品格のある、率直で、伝達力のある自己主張って、どうあるべきなのが理想的でしょうね。
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