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<---- 誤字その他に気が付いたので、お昼に書き直しました ---->
三月うさぎさん、こんにちは。
えっと。私、こういうやりとりって、止め時をつかみ難いんです。
この書き込みも「どうしようかな?」と思ったんですが、続けてみ
ます。無理に続ける気はありませんので、止めたくなったらおっし
ゃって下さい。
>> ??相手にはぶつけませんよ。一人で怒っているだけ。「怒る
>>タイミングを失してしまう」と、私書いたでしょう?
>
>あ、ここのところ…。
>こう「私はそれを先に言ったでしょ?」としてしまうと、相手もムッとします。
あ、ムッとされます?うーん。書き言葉のせいもあるのかしらん。
それともドライな書き方が拙いのかしらん。日常会話だと、定型の
人も含め「あ、それさっき私も言ったよねー」くらいのやりとりは、
ごく普通にやると思うんですよね。小さな聞き間違い・読み落とし
・勘違いなんか、誰にでもあるので。
全然こゆこと書かなくすると(実はさっき試してみたんですけど)
話のスジがワケ分かんなくなっちゃうんですよね... 単なる駄話、
お喋りならそれで良いんだけど、こゆ話合いの時には、避けにくい
です。
と言うわけで、出来たら気にしないで下さい<m(__)m>。こちらも
最小限に留めるようにしますし、書き方も考えてみますので。
> 配慮として最初に文をつくるとき「ここで、この話をしましたが」
> とかをいれるとわかりやすい
この辺り、私の語感だと、逆にイヤミっぽく受け取られそうな気
がして(自分の立場だったら、こゆ配慮文?が付いている方がイヤ
なんです)こういう書き方をするのが怖いんです。相手のごく軽い
ミス(失礼)を指摘する時は、大した問題ではないので、ごくそっ
けなくシンプルに指摘するのが良いような気がしていました。でも、
少なくとも三月うさぎさんにこちらの方が良いんですね。
>「接続文」をプラスすると、読み手もすんなり読めて、トラブルも減る
ちょっと素っ気なさ過ぎ、ということでしょうか。分かりました。
>中にはそういう人もいますが(きっと、狭量なんでしょう)、
>定型者は客観的にものを見ることができますので、あたりさわ
>りなく言葉を選ぶことが上手な方はいらっしゃいますよ。
このあたりも、うーーんと要約すると先のメールの私とほぼ同じ
ことを書いておられますよね。違いがあるとすれば、重み(どのく
らい多いか)についての印象とかでしょうか。繰り返すと、私も
「定型者は客観的にものを見ることができる"人が多い"」
ので、その結果
「"言い方"を"臨機応変に"選ぶことが上手な人が多い」
と思っています。ただ、
「マジョリティであることに甘えているだけな人も結構いる」
とも思ってますけど。定型な人の中で客観的な人の割合が、三月う
さぎさんの方が私の印象より多いと考えておられる、その違い?あ
と""でくくったところと。
>私が、先月ちろっと勤めていた職場でこういうことがありました。
------- 中略 -------
>60代女性の方は、本来なら、新人として腰の低い態度が好まれた
こゆことは、あちこちでよく見聞きしますね。みな特に意識せず
に自然に振る舞って、それでトラブルが起きているので、難しい。
双方とも、ある意味自信がありますからね。例えばここでの件で
も。相手の方も、三月うさぎさんも、私も、ある意味ある程度「自
分の生き方」に自信がありますよね。
# 変に思われるかも知れませんが、私も、就職して数年(下
#に書いた、演技をやってた期間を除く)はトラブルだらけで
#したけど、その後は周囲_主に職場_と自分、双方にそこそこ
#適した生き方・振る舞い方をみつけ、安定していました。身
#体を壊して昨年退職しちゃったけど。
なので、3人の文章とも、どことなぁく相手を教え諭すかのような
ニュアンスが漂ってるような(^_^;)...。自分の文章からは、推敲
する時にそういうニュアンスを極力削ってるつもりなんですけど、
たぶんまだ残ってる(-_-;)。
>年齢的に上ならば、上の者としての器で、包み込んでほしいなあ。
うーん。でもそれも、やり方によっては結構傲慢に見えちゃうん
ですよね。"適したやり方"は、相手のキャラによっても違うし。難
しいです。
全般に。
他人に当たり障りのない人間を演じるのは、実は出来るんですよ。
就職して3年弱くらいは、それやってましたから。でもそれをする
ことは、自分を完全に殺して別人格を演じることなんですよね。自
分が自分じゃなくなっちゃう。周囲の人は、ヒトの均質性に対する
思いこみが満たされて、幸せそうだけど、私自身は地獄でした。と
てもストレス。
ある当事者の方の手記本を読むと、こうゆう"演技"をやり過ぎて?
解離性同一性障碍(いわゆる多重人格)になってしまわれた経験が
書かれています。私の場合は、そこまでは行きませんでしたが、結
局ノイローゼみたくなって、演技を続けるのは諦めました。
# ここで他の当事者の経験を読んでも、似たような落とし穴に
はまっている方、他にもいそうな気がします。
以来、多少周囲とトラブっても、"自分を残したまま"生きる道を
模索しています。
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