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▼ワン_ニャーンさん:
>▼Ariesさん:
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>> 心を通わせるということの影響範囲が動物や植物にも及ぶのでは? と思いました。まだ自分の中で結論はでていません。
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>AS傾向があると思っているものです。
>私は、動物が好きです。
こんにちは。Ariesです。お返事ありがとうございます。
これに関しては私も時々、考えてたんですが、心を通わせるということの影響範囲が及ぶのは、たぶん哺乳類全般ではないかと思います。
相手に意思があることが分かってお互いにそれを理解できる、コミュニケーションの性質が幼稚でも基本的に個性のある固体として捉えられれば影響範囲に入るんじゃないかと思います。
だからある程度、動物として発達した脳じゃないとASの障害はありえないのかなと思うんです。
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>意識して、故意に、省略なく、書いてみます。
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>科学は、魂とかの類の存在を否定することはできません。存在の否定というのは、その対象自体を定義できないと本質的に無理だからです。
>科学は、そういう類のものを必要としない見方を目指しているだけだと思います。
>今、ここでは、その意味の科学が見ている世界像を前提にします。
>その世界像の中には、実は、自分の心というものも入っていません。あるのは、脳の中の物理現象だけです。
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>でも、ここで、科学の世界像から一歩だけ踏み出します。
>一つの仮説として、自分の心というものの動きと、脳の中の物理現象とは何らかの一対一の対応関係がある、というものを挙げておきます。自分の心というものが他人に見せることができないので、仮設という表現自体がおかしいのですが。
現代は科学は万能のように思われますが、何かの疑問を突き詰めて科学で説明しようとすると必ず行き詰ります。
人間の体があることを前提として医学は進歩するし、有効な薬や治療方法が見つかれば、私たちはその恩恵に与って、長生きしたり、健康を手にすることができます。
確かに人体にはいろんな臓器があって、骨や血があって、ホルモンがあって、脳内物質があって、病気に対してこんな治療をすれば治りますというある程度までの答えはあるけど、ではなぜ人体にはそんなに微妙なバランスをとる精巧なしくみが作られているんですか?
医学の前提となる人間の体はなぜ存在するのですか? って質問には科学は答えられません。話がそれてしまってすみません。
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>そうして、動物、具体的に、犬、猫にこの事を適応すると、彼らの心と脳という存在が推測できることになると思います。
>脳の中の状態に応じた体の仕草、顔の表情、声の調子があります。そして、これに対応した心の状態があるということになります。
>犬とか猫の場合、おそらく、体の仕草、声の調子が大部分で、顔の表情は少ないでしょう。
>彼らの心を知るとは、大部分は体の仕草を見て推測することと言えると思います。残りは、声の調子、顔の表情でしょう。
>この場合のどういう仕草がどういう心と対応関係があるのかという情報は、人間の遺伝子レベルに書き込まれているものが少しあるのかもしれません。しかし、そうでないものもあるのだと思います。
>犬と永い期間過ごすと、その間に、あのような唸り声の時は、噛み付いてきたとか、ある仕草をしているときは、絶対に、噛み付いたりはしなかったとか、ある仕草をしているときは懐いてきたとか、こういう統計情報が得られるはずです。
>こういう繰り返しの末に、犬のある仕草の特徴を見つけた時に、犬が今、どんな心なのか推測できるのだと思います。そのときには、自分の心の状態のどれかを当てはめているのだと思います。幾つか、具体例を挙げてみると、犬が尻尾を振った直後に前足を伏せて、身構えて、いつでも、動けるような姿勢をとったら、それは、「あそぼう!」と誘っているのだけれど、直前に、尻尾を振っていないで、身構えたら、もちろん、声とか顔の表情も違うでしょうが、怒って飛び掛ろうとしているのでしょう。猫のことでは、猫が体を横にしていて、尻尾の先端をくねくねさせながら、ゆっくり、尻尾を動かしていたら、凄く気分がゆったりしているはずです。これも、私の中の統計的な情報からのことだと思います。たとえば、猫がその買主といる時で、その直前に餌をもらっていた、などの状況の時に、その尻尾の動きをしていたという統計情報なのだと思います。
>犬の声から、そのときの犬の気持ちがわかるという製品が売られていたはずです。これも、たくさんの統計データに基ずいて作られたものだと聞いています。かなり、当たるらしいです。たとえば、「おなかが空いた!」が正しいのかどうかは、餌を与えてみると、かなり、正確に、わかるでしょうし、とそんな感じです。
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>>>すぐに野良猫と仲良くなれる人、いますよね。雰囲気なんでしょうか?
>>
>> 私はやはり心を自然に開ける人は動物とも仲良しになりやすいと思います。
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>上で書いた方針を貫いて書きます。
>野良猫と仲良くなれる人は、
>◎野良猫を見つけても、自分から猫の方に近寄らないで、できるだけ、自分を小さく見えるようにしゃがんで、動きをできるだけ少なくして、じっとしている。あまり、視線を猫に送らない。時々、チラッと見るだけ。体も猫の方には向いていない。猫の方から近づいてくるのをじっと待つ。場合によれば、20分も30分も。近寄ってきても、手を出さない。自分の顔ぐらいのものが近寄ってきたら、怖いでしょう。手とか突起状のものを出さない。しゃがんでいる状態で、ほんの少しだけ、ゆっくり、猫の動きに応じて体を揺らすぐらい。もちろん、視線は送らない。体も猫の方を向いていないまま、無関心な感じ。でも、時々、チラッと見ている。猫の方も一見すると、無関心な感じでこちらを向いていない。でも、だんだんと距離を縮めてくる。
>これをやっているはずです。
>理由は、考えると解ると思います。どんな動物も初めて会った動物は怖いから、猫を怖がらせないために、自分をできるだけ小さく見せるためにしゃがむ。猫はこちらが怖いから、動きをできるだけ少なくする。自分以外の動物の視線がなぜ、怖いのか? これは動物の本能(ちゃんと論理的な理由があるはずですが、私はわかりません)でしょう。だから、視線は猫に送らない。20分も待つというのは、余程の事かもしれませんが、猫が“この位の間攻撃してこないということは、敵ではないのかもしれない?”というような何かに解釈するのにこういう時間が必要なのだと思います。それから、彼らには、人間の表情を区別する能力は無いと思います(違うかもしれませんが)。彼らはわれわれの体の動きを見ていると思います。感覚的な表現では、体で彼らとおしゃべりする感じだと思います。
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>雰囲気という漠然としたものではなく、根拠のある裏付けを持った行動なのだと思います。もちろん、「そういう行動をとっていても違いがある」と言われてしまったら、魂の存在とか、心が通じるとかの類の事を考えなくてはいけないのかもしれませんが。
>子供の時に犬とか猫と生活を共にしていると、それ(根拠のある裏付けを持った行動)が無意識にできているのだと思います。でも、あるレベル以上の関係を築きたいと思ったら、個々の動物の固有の生理(知識)に基づいたやり方が必要なのだと思います。
犬や猫と仲良くなるノウハウを教えてくださってありがとうございました。コミュニケーションの手段・ツールとして「体の仕草、顔の表情、声の調子」があるんですよね。
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>これは、このまま、人間にも当てはまることが多いのだと思います。
>ただし、人間の顔の微妙な表情ということを読み取るというは、AS傾向の人には本質的に苦手なので、ここが問題なのでしょうね。
人間の場合は動物より複雑ですね。コミュニケーションの場数を踏んで、少しずつ前進するしかないのではと思います。その時、相手の存在を尊重し、思いやる気持ちを持つ、少なくともその努力をすれば、成果は大きいと思います。
植物と気持ちを通わせることに関してはまたちょっとジャンルが違うので、これはまだ保留中です。
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