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御無沙汰!(^o^)/
▼アリステイデスさん:
> 10代後半の頃に思ったことがあるような気がします。「世の中に
>存在する歌は、どうしてラブソングが多いのだろうか?」
> TVドラマでも、ほとんど全部に恋愛が登場します。これも、なぜ
>そうなるのか、よく分かりません。
それだけ世の人々は恋愛に興味がある、ということなのでしょう。
目下恋愛中、あるいはこれから恋愛モードの人は参考にしたいだろうし、恋愛に成功して結婚まで至った人たちは自分たちのケースと比較、という感じでしょうか?
> ところが、世間で言う「人を好きになる」「恋愛をする」は、その
>他の種類の性質も持っているようです。「その人との特別な関係性
>を望み、作る」「独占欲」「嫉妬」……。
> その段階に入ると、僕にとっては、ほとんど未知のゾーンに突入して
>しまいます。
私は嫉妬なら経験したことがあります。
しかし私の場合、嫉妬のパターンが一般と大きく違うので、例えばAという女性を好きになっても、恋愛関係でライバルになるBという男性に対して嫉妬の感情を持つ、というパターンは確かにありますが、今の私にとっては、私以外のすべての男性が恋愛関係でライバルになりそうな気がしてなりません。
度々コメントしているように、私にとっては身体障害も恋愛においては非常に大きなハンデだと感じてきました。しかも茨城に来る前に住んでいた場所が非常に身体障害に対する偏見が強い環境だったので、恋愛はほとんど不可能だと感じていました。
一度だけ、2年ほど前の秋に就職難のさなか、職業訓練で出会った24歳くらいのさらさらロングヘアの女の子に一目惚れをしました。いつもニコニコして誠実そうな感じ、まさに私にとっての理想のタイプでしたが、これも片思いで終わってしまいました。もちろん、周囲の男性がみんな恋愛のライバルに思え、ライバルを蹴落とすためには身体障害がとてつもなく重いハンデに感じたからです。さらに彼女自身も身体障害に対して偏見を持っているのかもしれない、と考えると、それだけで臆病風に吹かれる自分がそこにいました。
彼女なら告白して振られても後悔しないつもりでいたので、何もできなかったことが大きな後悔をもたらしました。
身体障害によって阻まれているものがあまりにも多すぎるので、私にとっては、仕事だけでなく恋愛のためにも身体障害に対する偏見の少ない環境が必要でした。
たまたま茨城ではそういった要件を満たしている環境だったので、あとは私の恋愛を阻んでいるものを少しずつ取り除くだけです。
身体障害に対する偏見が少ない分、恋愛の障害となるものが少なく、しかもその分自分の心の中にあるものが相対的に多くなるので、もうじきお惚気話も披露できると思います♪
ただそのためには心療内科の助けが必要なほど、私の心は満身創痍です。
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