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▼nobody knowsさん、迷子さん
こんにちわ。当事者のこしあんだんごです。
横から、すいません。とても、参考になりました。
>普通の方より、何倍も何倍も頭を使っているのではないでしょうか。
>これを「脳の過活動」と言います。
>定型の人が、「流していること」をこのような人は「考えて」います。
そもそも、どうやったら、「話しを流したり」「考えなかったり」できるんでしょう。
「何も考えない状態」というのは、どういう感じなんでしょう。
>あえて言えば、細かいことで。
>ほんの些細なことで。
>人が聞いたら笑うようなことで。
でも、私には重要なこと。
思考が止まるという状態が存在しない上、他者との境目がない私は、
よく止まらない思考を他者へ多分に披露しているようです。
20歳までは対象が母でした。
「全て」を母に伝えると、母は猛烈に家事をし出し、それでも止まらない私から逃れる為「トイレにこもったり」していました。これは、友達にもやったようで、ドアの向こうにいる「人」をたくさん記憶しています。
しかし、私は止まりません。ドンドン、戸を叩き続けながら、しゃべり続けました。
そして、今度は私がしゃべったことを、覚えていてくれないと「怒り出し」、おそらく母が適当にうったであろう(気づくのに20年くらいかかりましたが)相槌と違う返事が返ってくると「うそつき」と怒鳴り、ものを投げました。
すごい子どもでした・・・。
そして、ある日突然、何もしゃべらなくなり、相槌も打てない、体で反応することもできない。
と書くとすごいですが、20歳を過ぎる頃から、がまんするようになりました。
ここから、反対に辛くなって、非常に疲れるようになったと思います。
自閉症のことをしるようになり、「脳の過活動」が特有のものである事を知ってからは、発散させる為にやたら運動をして、関節を痛めてみたり、落ち着く為に食生活を変えて、こだわりにしてみたり、
「なぜ」「どうやったら」
は、生きる課題になったりしましたが、
>疲労感は、人間の根源的な感情です。これは、ごまかしようのない感情です。
>疲れているのは間違いではないです。
で、いいんですね。
>ですから、
>「なんでこんなに疲れるんだろう」と悩むより
>疲れるものなんです。
>どうでしょう(*^_^*)。
ああ、しっくりきました。
「仕方ない」とか「しょうがない」とかいったものは、自然発生的に感情として生まれてこない私には、非常に参考になりました。
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