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初めまして。
▼Ariesさん:
>なぜか人が嫌がることを言ってしまい、それがいけないことだとも思ってませんでした。人がどんなことを言われると嫌なのか、どうしてそんなことを言ってはいけないのかが分かったのは本当に大人になってからです。幼い頃にそれを教えられていたら、どんなにその後の人生が楽だっただろうかと思うと悲しいです。
以前から度々コメントしていることなので、検索機能で名前=「Chiquitita」と入力していただけると解ることだとは思いますが、我々は言葉を字義通りにしか解釈できない場合がほとんどです。
それでトラブルの元になるのはどうしても避けられない、という面もありますが、だからといってあきらめるのではなく、カウンセラーとの間でケーススタディを元に対策を話し合う、などといったことは今後も可能かと思います。
> 私の家族は私以外は全員まともな感性を持っているので、私がどれほど人の気持ちが理解できないか、分からなかったんだと思います。
まあ、「まとも(真っ当)」と「普通」はかなり定義があいまいな言葉でして、貴方の考える「まとも」と、御家族の方が考える「まとも」とは物差しが違うのは当然でしょう。ただ意思の疎通ができればまともな状態か、といわれても一概には「Yes」と言えないのも事実です。
しかし発達障害とは無縁の定型発達者の世界においては、御指摘のように意思の疎通が困難な状態はおそらく想像だにできないかもしれません。
それは、視力障害のない人がただ単に目をつぶっただけでは、視力障害のある人の世界を体験できない、というのと同じです。
>私は動物が嫌いです。犬も猫も触れないし怖いです。やはり動物とも心を通わせることができないからなんだろうなと思います。
それはどうかな?
私は犬も猫も平気ですが…(たまに私が散歩でそばを通りかかる度にヒステリーを起こしたように猛烈に吼えまくるような憎たらしい犬もいますが、どちらかというと猫よりは犬のほうが好きです)
電車通勤で利用する常磐線の某駅では、待合室にたまたま現れた猫に懐かれてしまい、つい情が移ってしまいました。(http://www.nadita.com/asbbs/c-board.cgi?cmd=one;no=153;id=fun)
でも、ただ犬や猫の姿を見ているだけなら、かわいいと感じることはあるんじゃないのかな?
>それから植物もうまく育てられた試しがないです。小学生の頃から皆で同時期に植えた種が自分のだけ発芽しなかったり、一度もうまく育てられませんでした。
>
> 植物にも心があって人の心を感じることができるそうで、これをバクスター効果と言うそうです。私の心を植物が読み取るのか良く分かりませんが、とにかくうまく行った事がないです。
そういえば、アニメの「ちびまる子ちゃん」でも、初期のエピソードに、まる子のヒヤシンスだけ花が咲かないでいたずらに背丈だけが伸び、クラスメートに「まる子の水栽培、タマネギだな」とからかわれる、というものがありました。(でも自宅で同時に水栽培を行っていたクロッカスはきちんと花を咲かせた)
植物の栽培なら、一度や二度の失敗はあるので、同じ植物で何回も試してみて、技術的な問題点があるのかどうかをチェックしてもらってみては?
私の場合はヒヤシンスの水栽培も成功したし、ヒマワリも最後に種の数を数えたら(当時通っていた小学校の)クラスで44人中5番目に数が多かったです。
人間との意思の疎通が悪くたって、動物や植物相手でもそうとは限らないと思います。
何より大切なのは、感性を磨くことだと思います。
潮来のアヤメばかりがアヤメじゃない、道端に咲いているアヤメの花が潮来のアヤメより姿形が整っているかもしれない。
サクラだって、庭木のサクラにも十分美しさを感じたことがあるんじゃないかな、と存じます。
ASの当事者(グレーゾーンも含む)にはもともと感性の鋭い人が多く、今さら「釈迦に説法」かもしれませんが、人間だけではない、すべての生き物と意思が通い合うための第一歩は、相手を好きになる、ということかな、と最近考えています。犬や猫の姿を見て「かわいい♪」と感じる、それだけでもきっかけになるのでは?
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