|
▼wentさん:
> penpenさんの書き込みに、「頭でっかちと言われる子供のことを貶す」意図は全くないということは、承知しております。
> ただ、この内容、正直言って私にとっては辛いです。
>
> 私も、「活字から情報を得ることは得意なのだが、周囲の状況を把握することが困難で適切な行動が取れない」子供でした(今でもそうです)。
> 私の思いは、「周囲の状況を瞬時に・直感的に把握できないんだ。だから、記憶・論理・知識・規則といったものを使って自分なりに考えるというスタイルしかとれないんだ。瞬時に・直感的に把握できる人は頭のいい人だ。」なのです。
> 「知識がありすぎるとものを感じる力が弱くなる」というのは、私の場合にはあてはまりません。
> 「ものを感じる力があまりにも弱すぎるから、知識などを総動員する必要が出てくるんだ」というのが、私の本心です。
>
> 「頭がよすぎるのは問題」という主張が、「感情よりも論理」という文化の場でなされたのなら、「論理偏重が行き過ぎた場合のブレーキ役」となるかもしれません。
> しかし、日本という国では、「阿吽の呼吸」とか「義理と人情」とか「相手の立場を思いやった先取り的配慮」といったことが、要求されていると思います。こういう場では、「頭がよすぎるのは問題」と言う主張が、「論理的主張を排除するための口実」とされる危険性もあると思います。
はじめまして、wentさん、ジョンです。
penpenさんと菜の花さんのやりとりに齟齬が生じていないのは、
おそらく共通認識をお持ちなのだと思います。
また、おせっかいではありますが、私にも投稿をお許しください。
文字情報についての話の中で出てきた「“頭がよすぎる”というのは問題だ」
という考え方は、wentさんもご存知だと思いますが、左脳、つまり言語性IQの
働きだと思っています。一方、「知識がありすぎると
ものを感じる力が弱くなるようです。」は動作性IQの働きだと思っています。
「「頭がよすぎるのは問題」と言う主張」は問題だと主張しておられますが、「知識などを総動員」して、「ものを感じる力」を補っているwentさんの努力と相反することではなく、wentさんの努力は、すばらしいことであって、どなたも否定なさらないと思います。penpenさんと菜の花さんがおっしゃっているのは、「頭がよすぎる」という言語性が強すぎた場合、「ものを感じる力が弱くなるようです。」と動作性が抑えられるので問題だとおっしゃっているのだと思います。「論理的主張を排除する」という意味ではなく、wentさんのように「知識などを総動員」するという言語性と「ものを感じる力」という動作性を分けて認識され、さらに、自分の弱点を克服されている方はぜんぜんOKではないかと思っています。私も修行してwentさんのように「ものを感じる力」を補いたいと思っていますので、これからもよろしくお願い致します。
|
|