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コメントありがとうございます。
レスが遅れたためいったんケータイからコメントさせていただきました。
▼wentさん:
> 悲しいことですが、性暴力事件というむごい事件があります。この事件では、被害者に危害を加えるのは犯人だけではありません。被害者自身にも、「あんたにも落ち度があった」という追求が、身近な人から向けられます。「変な服装をしていたんだろう」「変な所にいったんだろう」「抵抗しなかったおまえが悪い」といったような言葉は、被害者を更に傷つけます。
> これが、「セカンド・レイプ」です。
将にそのとおりかもしれません。とりわけ障害に無理解だった親父からはよく言われました。
そして同じようなことは、オフクロも感じていたかもしれませんが、オフクロはショックのあまり何かにつけて感情的になりやすくなっていたのでしょう。
オフクロも「●●子が親の反対を押し切って▲と結婚するから、不具者で自閉症の子供が生まれるんだ。●●子の自業自得だ。」と伯父(オフクロの兄)に言われたことが40年以上もトラウマとなって残っている、と今でも愚痴るほどです。
だからオフクロの「セカンド・レイプ」によるトラウマが少しでも癒されるためには、私は今までは親に従順でいなければなりませんでした。
もちろん今は、オフクロとは一線を隠しながらもオフクロの鬱状態を少しでも癒すための方法を模索しています。
> 強盗事件の被害者が犯人と戦わなかったからといって、非難されるのでしょうか? されないでしょう、おそらく。しかし、セカンド・レイプとなれば、話は違ってきます。しかも、このセカンド・レイプは、身近な人(例えば家族、姉妹、友人等)からも容赦なく向けられます。否、身近な人によるセカンド・レイプのほうが、アカの他人になされたそれよりも厳しいものとなります。
> 「それで、されるがままになってたの?」「何で抵抗しなかったの?」「やられっぱなしのあんたがふがいない」という言葉が、身近な人から厭というほど浴びせられたらしいです(経験者複数の証言によれば)。
> しかし、「やられっぱなしの自分がふがいない」と思っているのは、誰よりも本人です。そして、そんな自分にも、本人は傷ついています。
> 性暴力事件の被害者がなかなか事実を公にできないのは、このセカンド・レイプによるダメージも大きいからです。それだけではありません。加害者の社会的地位が高い場合は、圧倒的に被害者が不利となります。
そうなんです。オフクロはこのために時々自殺を考えるほどの重症の鬱状態に陥り、しかも自殺を思い立ったときは、必ず私を道連れにしようとしました。
> 次に、傷ついた言葉について書きます。私の場合は、言葉そのものに傷ついたこと以上に、「その言葉は、ジョークなのよ。ジョークの通じない暗い子供ではいけません。」と言われ続けたことが嫌でした。
> 前にも書きましたが、私は「役割の交代があるのがふざけ、ないのがいじめ」と解釈していました。この「ジョークだ」と主張された言葉を私が他の人に対して使ったならば、「言ってよいことと悪いことがある」と叱られました。私にとっては、理不尽としか思えないことでした。
同じ台詞は、私も言われました。
例えば、高校受験を控えて勉強しているさなかに、親にはTVを観る時間を制限され、(まったく見せてもらえないわけではなかった)おとなしく勉強しているときに、親父が別室でTVを見ていたときに根室の風景が映ると「おっ、懐かしの風景だ」と興奮していたので、私が「勉強中なんだから静かにして」とお願いすると逆に怒鳴り返されました。
> 「ワケのわからない人格教育」にも、傷つきました。「玄関では靴をそろえろ。」といった類の、「具体的な行動について、不適切な点を指摘し適切な行動を取れるようにする」ための言葉なら、合点がいきます。
> しかし、「おまえは思いやりがない。そんなことではいけない。なおさないといけない。」とか、「おまえの作品には心がこもっていない。」といった類のことを言われても、どこをどう変えていけばよいのかわかりません。「わからない」などと言おうものなら、相手を余計に怒らせることになります。
方向性のあいまいな要求ほど、発達障害者にとって厄介なものはありません。
だから、コンピュータの仕事をしていても、新たに取り掛かる案件で客先から白紙を提示され、「好きなようにやって下さい」と言われるのが、私にとっては最も厄介なパターンです。ネゴの途中で意見の相違が発生し、ドタキャンになったプロジェクトもありましたが、このときも最初は客先が白紙に近い形で要求を出したからでした。
> (パニックで泣いている私に対して)「泣けばすむと思っているのだろう。」
> (私が10歳のとき、父が1ヶ月入院したことがあります。このときに、毎日父や母から言われ続けた言葉です。)「うるさい人がいなくなって、うれしいだろう。」(注 「おまえは、人が病気になったことを喜ぶような嫌な性格の子だよ。」と言われているのだと、解釈しました。)
この台詞、はっきり言って発達障害者には禁句です。
パニックに陥ったときは、自分自身感情のコントロールができません。私の場合、泣くことよりもむしろ怒ることをコントロールできないので、それでこのWebサイトでもしばしば問題コメントを流しては管理人さんから注意を受けるという有様です。
いじめの時だって、怒りのあまりパニックを起こしていたため、パニックが起きてしまうと「100%加害者側が悪い」という結論に至らないと納得ができませんでした。
> 私は、状況判断がうまくできない子供でした。そのことが原因で他の人に迷惑をかける結果を招いてしまったということが、しょっちゅうありました。
> 「認知力・判断力等に欠けていることが原因で、やってしまったこと」なのに、「悪いことだと知っていて故意にやったこと」と決め付けられたのも、嫌でした。
私はこういったケースは親よりもむしろ勤め先の上司によるものが多かったですが、やはりプライドはおろか、アイデンティティまでも傷つけられました。
情報処理試験も二種試験は一発で合格、一種試験もその後合格しましたが、努力は一切認められませんでした。
>前に、私が子供の頃の隣家のおばさんについて書いたことがあります。このおばさんは、「不適切な言動を取っていたならば、よその子も叱る。しかし、言動について叱るのであって、その子の人格面を否定した言い方はしない。」という人でした。私もたびたび叱られました。しかし、当時の私もこのおばさんが好きでした。人格面を否定されないという安心感を、子供心にも持てたのだと思います。
なかなか、世間には分け隔てなく人格を認めるような人はいませんね。そういった人が一人でも多く存在してくれるように祈るしかないですね。
(なお、勝手ながら、先にケータイから投稿させていただきましたコメントは削除させていただきました)
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