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どんなに親に従順に育ってきた子供でも、何れは反抗期を迎えることはあるでしょうが、形では反抗できなくても、最低でも胸の内では親に対する不満の気持ちがくすぶっていたことくらいはあろうかと思います。
私は、生まれてから大学へ通い始めるまでの19年間は、周囲が唖然とするほど親に従順な子供でした。親に噛み付いたのは、いじめが深刻だったときに「オフクロがこんな体に生んでくれたのが悪い」と自分の身体障害に対する恨みをオフクロに訴えたときぐらいでしょうか。それほどまでに親子関係は一見非常に仲睦まじく、まるでChiquititaファミリーに夫婦が2組重婚状態で存在しているような感じでした。
しかしこの状態は、1982年7月2日を境に崩壊しました。そう、変形性股関節症が末期状態を訴えて前途歩行不能になったあの日です。
もちろんそれまでも、親に対して不満はありました。しかし不満を訴えても、身体障害という負い目があったために反抗することはできませんでした。常に見捨てられる不安があり、私の場合は見捨てられるということは即前途歩行不可能を意味していました。
後日オフクロにそのことを話したら、「Chiquititaの思い過ごしだ」とたしなめられましたが、同時に「親父にそんなことを言えばあんた(Chiquitita)はこの家にはいられなくなるよ」とも言われました。
つまりは、親父は私の病院代をも管理していたので、私が曲がりなりにも日常生活が可能な状態でいられるためには、イヤでも従順でいなければなりませんでした★
もちろん、親父にASの疑いがかかるようなことさえなければ、もっと素直に意思の疎通ができたかもしれません。
気が付いたら、親父だけでなくオフクロにも従順でいなければならないような気がして、ひたすら畏縮していた自分がそこにいました。
私がこのサイトの存在を知って出入りするようになった頃は、既に親父が死んでから10年を経過するようになっていましたが、恋愛を「Chiquititaファミリーの恥さらしだ」といって社会人になってからも反対されたというのに、説得するに十分な理由が見出せないまま、人間関係でのPTSDばかりが蓄積され、気が付いたときには中学校の同級生2名を、何れも独身のまま相次いで39歳の若さで失う、といった悲劇に直面しました。
人生に焦りを感じ始めた私にとっては、オフクロの存在が私を縛り付けているだけのものにしか感じられなくなり、私はアイデンティティさえ見失いました。
反抗期に反抗できなかったことの付けが、まさに今回ってきたような気がしました。外見では仲が良くても、今の私にとっては親子関係は修復困難なほどめちゃくちゃです。
今回の茨城での就職にしても、オフクロは最後まで猛反対しました。「就職するのはオレなんだから、いい加減に縛り付けないでくれ」といっても、重症の鬱状態にあるオフクロには通じません。就職した会社の人事担当者まで説得に加わって、ようやくOKをもらったくらいです。
でもこれだけ苦労した甲斐があったのだから、茨城では今のところ期待に応えることが曲がりなりにも可能なのでしょうし、「病は気から」の一言で医療機関への通院も止められていた私にとっては、恋愛の前にPTSDを解決しなければならないほどなので、41歳にしてようやく実質的に恋愛には絶好の機会をもらったようなものでした。
またしても長々と愚痴ってしまいましたが、本当は私が知りたいのは、発達障害があると反抗期がなかったり、あるいはあっても定型発達の人と違う年代に反抗期を迎えたり、あるいは反抗期があっても他の人ほど顕著ではない、といった特徴があるのかどうかであります。
皆さんの体験談も差し支えない程度でお聞きしたいので、宜しくお願いします♪
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