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▼マナミさん:
> わたしは、最近気がついたことがあります。
> 文字が目に入ると、頭の中で音読している(もじの通りの自分の声が聞こえる)
> ことに気がつきました。そして、みんなもそうだと思っていました。
> 多分、ひらがなを覚えたころからずっとそうして、言葉を解釈していたように思います。
えーと、難しいです。(^_^;)
うまく解釈しきれないので、違っていたら、みなさん、どしどし、ご指摘を。
文字通りとしての「音読」から。
一般的な「音読」はインプット→アウトプットのとても複雑な一連の情報処理で、
視覚的に「記号」を認知
↓
獲得している語学の「文字」として認知
↓
言語として情報処理
(たぶんここらあたりで、文字が表している語彙と内的に獲得している語彙と一致させつつ。一致しない場合でも処理は可能ですが、「頭には入っていかない」状況ではないかなあ。きっと、いわゆる「たどだどしい」とか「一文字、指さし、たどり読み」みたいになると思われ。)
↓
獲得している構音操作を使用して発語器官に操作を命令
↓
発語器官(舌、口唇から鼻咽腔閉鎖機能まで口腔のあらゆる器官を使用)が機能
↓
「ことば(音)」の発生
↓
聴覚的にフィードバック
↓
「ことば」として再認知
ぐらいかしら。そんな一連の情報処理です。
とりあえず、「音読」はアウトプットまでの一連の過程なので、「音読」とは言い難いような気がします。本当に「声」が聞こえたら、「幻聴」になりますが、幻聴は視覚的な処理とは別に意識(あるいは無意識)から発して「聞こえる」ものなので。それも違うような…。
ここから、全くの私見なので、それこそご指摘を。(私も知りたい!)
考えられること
1.視機能(眼球運動能力から視空間能力まで)の課題から、「記号」を認知することが難しく、この部分に時間がかかり、そのタイムラグからアウトプット様な処理(=音読)をとても「意識」してしまっていた。
例:行を読み飛ばす、文末を勝手に読み変える場合
2.文字として認知するが、「記号」を「文字」に変換するところに課題があって、一文字、一文字を確認する(これは「あ」、これは「い」というように)ことに時間がかかり、それを「音読」と感じた。
3.文字を「語彙」として認知する部分に課題があり、理解するために時間がかかり、このあたりで試行錯誤がくり返されたため、「音読」と感じた。
番外 このスレ読んで、途中から自分も口の中でもぐもぐ言っている(音読?)つもり になってきた。かなり強迫的、完璧主義的な自分なので、こだわるとそうなの かもしれない。でも、これはたぶん違うと思います。
他にも考えられそうなのですが、とりあえず、
> 当時は理由が説明できなかったのですが、今考えてみると
> 「黙読しているのに、音読と同じようなエネルギーを使っていたから」
> 読書が人一倍時間がかかってた、学校の評価も文章の理解力が不足していたようです。
ということからは、どこかの処理に時間がかかって人一倍、エネルギーを使っていた可能性があります。
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