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▼朧塚さん:
先日はどうも(^o^)。
nobody knowsです。
>自分はアスペでもADHDでもACでもなければ、一体何者だというのでしょうか?
同じく「アイデンティティ」に揺れる者として、共感。
私は、
「AC→嗜癖(AA)→AD/HD→人格障害→AS」
(ちなみに矢印は両向きだと思ってください。この中をその時々で移動してます)
と、揺れに揺れながらここまで生きてきました。その揺れとともに自分の生き方も微妙に変わってきております。
んで、結局、今考えていることは、「今、自分が『これ』と思ったら、それを突き詰めていくしかない」です。
「これ」が分からないことが「揺れ」なのは当然として。でも、とりあえずひとつひとつつぶしていくしかない。そのために「生きている」といってもいいかもしれない。(そのために周囲を巻き込んでいる泥沼もあるけど)少なくとも定型でないのは確実。今は。
12月(まあ、とんでもなく先(T_T))にDr.にかかる予定ですが、それで結論は出ないかもしれない。それで結論にはならないよなあ。自分が「そうなんだな」と思わない限り。もしかしたら一生悩み続けるのかも知れない。
ちなみに、私のHNの「nobody knows=誰も知らない」は、ものすごく自分自身の人生とかぶってしまった映画の題名とともに、
本当の自分を誰も知らない、
誰もはっきりとは分からない、
私さえも知らない
という意味を込めています。(^_^;)
「アイデンティティ」の確立。これ、かつて流行した(今は認められていないので)「発達段階」にそって考えれば、とっくのとうに自分は確立していなくてはならないのです。少なくとも青年期…ありゃ。(>_<)。
診断を受けてもいい。確定するかもしれない、またしないかもしれない。診断に納得するのかも知れない、いや怒りしか思わないのかもしれない。
あるいは、人にまかせることが失敗だったと思うかも知れない、客観的な人(しかも専門家)にまかせたほうが楽なのかも知れない。
いやいや、やはり、自分自身の思いが最終的に大事。そのためになんでも受けてみようか…。
朧塚さんがどうのこうの言っているのではありませんよ。これを書きながら、自身を見つめている、のかな。
でも一番大切なのは「自分は何者であるのか=アイデンティティ」が得られない限り、また延々と放浪の旅が始まる、のだろうということを、今、思っています。
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