|
▼秋桜さん:
>医療機関が浸透していない地域も多いでしょうから、「ことばの教室」が果たす役割はこれからも大きいと思います。でも最近感じるですが、どうして学校という組織は内部で物事を進めてしまって外部からの人や意見をなかなか取り入れないのでしょうか。教育システムだけでは発達障害児・者の支援は不十分だと思うのです。
>
>だって学校にいられる時期なんて6歳から18歳、長くても22歳前後までで(大学院などに行けばもっと長いでしょうが)、人生から考えればそんなに長い期間ではないですよ。むしろ学校を出てからの人生の方が長いわけだし、教育を受ける期間よりもはるかに長い時間を過ごしていかなくてはならないですよね。どうも学校の先生方とお話しているとその辺の認識が不足しているような気がしてならないのです(もちろんこれは私の経験だけから感じていることで、こちらの掲示板にいらしている教育関係者の方がそうだと言っているわけではありません)。
>
学校に対する秋桜さんのお考え、私もそのとおりの部分があると思っています。
就労や社会的自立のために、何が必要かと考えると、むしろ学校を出てからの方が大切なわけで、その視点で、お子さんと関わっていかなければと考えています。
特別支援教育の重要な観点は、幼から大学までを一貫した流れでとらえて、一貫した教育を行って行こうということだと思います。とりあえず、目の前の学校に適応させていくという視点では、いけないのだと思っています。「漢字が書ける、計算できる、学級集団にとけ込める」だけでなく、お子さんが最終的に自立して生活するために必要なことは何かを考えなくては。
でも今少しずつ、その視点が導入されつつあるとは思っています。学会の研修などでも、その視点から語られることが多くなってきたようです。
実は、私の「文化論」、あるDr.のお話から出発しています。
医療は診断・助言はします。しかし、そのあと、具体的にどう成長していくかは、教育機関が責任をもって担当する必要があるのだと思っています。
私のずっと持っているテーマは「連携」です。共有し合うために、教育はその内で自己完結するのではなく、連携し合わなくては。
|
|