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▼Сашаさん:
コメントありがとうございます。
鼻炎、大丈夫ですか?
お大事になさってください。
>診断結果を知った母がショックを受けたのは
>ここらびさんのように母は「娘はもっと能力があると思ったから」です;
この場合の能力というのは、何をさしているのでしょうか?
waisの結果が低かったということですか?
大学の授業でやったのは10年以上前なので
waisの内容は忘れてしまいましたが、
言語性と動作性に分かれていたのではなかったかな。
おそらく下位検査ごとのばらつきが大きかったのではないですか?
できることが突出していて、できないこととかなり得点が離れていたのでは。
知能検査はあくまで、本人の得意なところや苦手なところを知り、
今後の生活に役立つ資料として活用するものであって、
検査結果を伝える時にも、その観点から説明するべきだと私は思うのです。
つまり、IQなんて伝えなくていいから、
ここは伸ばそう、とかここはお母さんのフォローが必要ね、とか。
でも、そこを勘違いしている医師や心理士さんの多いこと。
言語性と動作性のIQに有意な差がある場合、
発達障害を疑いますが、
診断は知能検査だけでするわけではなく、
生育歴や本人との会話、生活の中での困り感などをアセスメントして
総合的に判断されるのだと思います。
息子は小1の時にwiscをやっていますが、
下位検査でのばらつきはあるものの、
有意差(言語性と動作性のIQの差)はなく、
知能検査のみを診断基準にするならば、診断はでなかったでしょう。
私は息子のような気質を持つ人たちを
アスペルガー症候群ではなく、脳のタイプの違いという意味で
アスペルガータイプ、
ギフテッドタイプ、などど自分で勝手に言っています。
将来、アスペルガー症候群という名前もなくなるのではないか
という学者もいます。
「障害」、というのは、その気質を持っていることにより、
生活の中で多大な問題が生じた場合に、
支援を得るためにつけてもらう言葉であり、
Сашаさんのように、今が一番幸せと感じていらっしゃる方は
たとえ気質がアスぺタイプであっても「障害」という範疇からは
はずれる気がします。
まさに、みんなちがってみんないい「個性」です。
>だけど能力高い当事者は少し違うかもしれないなぁと思います。
>身体成長遅かった私でさえ「自分と他者との違和感」をなんとなく感じてました。
>(診断基準にあった「物事の認知度」は健常並みです)
>もし,息子さんの認知度が高いものなら「なんとなく」ではなく「かなり」で
>どこがそう思うのか理論的に考えているような気がしたからです。
>もしかして,ここらびさんの心配は「能力高いうえの当事者の葛藤」ではありませんか?
「息子には人と違うことに対する葛藤がかなりあることを私が心配している。」、ということでしょうか?
気質からくる差異を感じているかどうか・・。
今までは違うことがいいことである場合が多かったし、
だらしなさや落ち着きのなさは個人差の範囲でなんとかおさまっているし、
それほど心配はしていないのですが。
気質という点で心配なのは
物事の価値基準が所属集団のリーダーや集団の多数派の考えに染まりやすく、
一度価値基準が固定されると
それを崩すことが容易でないということです。
その価値が本人には今までの価値と矛盾していたり、
どこか道理に合わないことだと
いったんはうけいれるのですが、
時間が立つにつれ、心の中に葛藤が芽生え、混乱してしまう。
塾の先生は息子の発達のばらつきを知っていますが、先日電話で
「息子さんの悩みは早熟さゆえ。たいていのお子さんはそこに疑問を感じない。」
と。
ほめられることとは。努力とは。賞とは。
なにか哲学的な悩みを持ち、でも幼いために考えがまとまらないようにも
見えるのです。
ただ、最近の「不安の強さ」は心配です。幼稚園の時の性格に戻った感じです。
私の性格がそうなので、遺伝ですかね。
Сашаさんの「自分と他者との違和感」ってたとえばどんなことでしょうか?
誰一人同じ人間はいないので、
自分と他者とは違って当たり前のように思えるのですが・・。
みんなができてできないことがある、とかいうことですか?
それは確かに悩むかもしれませんが、
思春期などであればアスぺタイプでなくても感じることではないでしょうか。
息子にもあるのだろうか・・。
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