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皆さん、レスありがとうございます。
(コメントは彩花さんへのレスも兼ねています)
▼彩花さん:
>タイプは違うのですが、子供の頃に「見られてはいけない」という意識がありました。
>細い路地を歩いていて車に追い越されたらよくないことが起きると思っていたのです。
>車が来ないうちにその路地を歩いてしまうか、音が聞こえたら走って隠れていました。
>「誘拐される」恐怖とは違う感覚だったように思います。
「迫り来るもの」に対して不安感があったのでしょうか?
私も、車を運転していて常識外れのスピードで走っている大型トラックが接近してくると恐怖感を感じます。
そいつから逃れるためのスピード違反で捕まって運転免許を失っても、そいつに自分の車を体当たりされて命を失うよりはまだましだ、という考えになってしまいますが、やはり他の車や歩行者を巻き込んではいけない、という思いもあってジレンマがパニックを招くことがあります。
▼aikidonotatujinさん:
> 私にも違いはあるものの、自分で見てはいけないもの、近づいてはいけないものがあります。
> これは、強迫行為、強迫観念だと思いますが、私にも、どうしても不吉なものを開けたり、さわったりすることができないことがあります。
ジンクスが絡んでいると厄介に感じる、ということなのでしょうか?
私の場合は「119」という数字に非常に神経質で、最初に運転していた中古のカローラのナンバープレートの数字が「119」だったのですが、誰が運転してもトラウマになりそうなほど運転妨害が深刻で、挙句の果てに自宅の近所でスリップ事故を起こしてお釈迦になりました。
電車でもナンバープレートの数字に「119」があると(例:クモハ731-119)、何かしらアクシデントの影響で電車がひどく遅れて運転することが多いためにスケジュールがめちゃくちゃになったこともありました。(しかし茨城に来てから乗ったキハ112-119は何事もなく走っていました)常磐線には、ナンバープレートの数字が「119」の車は幸い走っていません。
生命の危険にさらされるほどのジンクスだったので、「119」という数字は何が何でも避けたいから、と、現在の愛車はもちろん希望ナンバーを導入しました。
軽自動車も希望ナンバー制度が導入されたことで、ワゴンRやミラやモコも「119」のジンクスを気にしないで済むことになります。
他にも古い信号機の黄色が点灯しているときに両隣の青や赤がぼんやり点灯した状態になるのを見ると、必ず当時の勤め先にいたヒステリー持ちの女子社員(こいつのせいで勤め先を辞めさせられた)の餌食にされたので、「見てはいけないもの」のメニューに加えられました。
今ではむしろ、ジンクスに関係のないことが解った「見てはいけないもの」は、むしろ怖いもの見たさという意識が働くようになりました。
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